今回は、『表現者クライテリオン』のバックナンバーを一部特別公開します。
公開するのは、「「コロナ」から日常を取り戻す」特集に掲載の、與那覇 潤先生の記事です。
そして明日発売の『表現者クライテリオン』最新号(2021年5月号)でも、コロナをテーマにしています。
ご興味ありましたら、ぜひ最新号とあわせて、本誌を手に取ってみてください。
以下内容です。
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二月半ばにパニックが口の端にのぼってからの約一〇〇日間を、かつて歴史学者だった私は日本近代史の走馬灯を見るかのように過ごした。
(中略)
かつて戦時下で圧倒的多数の人が、本当は国のために正しい主張をしていた少数派に「非国民」の罵声を浴びせ、集団リンチによって迫害した。ところが敗けてしまい、真実が明かされると困ったことになる。そうした過ちを犯した多数派にも加わってもらわなければ、国家の再建はできないからだ。
同じように、コロナ不況がどん底まで行ってから「しまった!」と以前の──自粛警察や不謹慎狩りのような──言動を後悔することになる人びとにも、経済や社会の立て直しに協力してもらわなくてはならない。
どうすれば、それが可能になるか。歴史が教えてくれる答えはひとつである。
戦犯という名の「生贄」を差し出し、彼らに全責任を背負わせ、それ以外の大多数は「騙されていた」という物語を作ることで、生贄以外を互いに許しあうのだ。先の大戦でいえば、これが東京裁判の行ったことである。
近年、GHQの占領下で行われた(とされる)ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムをめぐる論争がかまびすしいが、その内実はほぼ解明されている。確かに占領軍は日本の戦争犯罪を周知するキャンペーンを行ったが、それは一方的な「洗脳」ではなく、むしろ自分たちを騙された被害者だと思いたい日本の国民自身との共同作業だったのだ。
「国民は軍国主義者にすべての罪を負わせることを受け入れ、その一方でこれを利用した」(賀茂道子『ウォー・ギルト・プログラム』二六六頁)というのが、実証研究による評価である。
ちなみに東京裁判の意義を全否定する学者は、極端な思想の持ち主のほかには存在しないが、法廷が依拠した「A級戦犯たちの共同謀議によって、終始一貫した計画のもとに侵略行為が行われた」とする歴史像を、真実だと認める学者もまたいない。
つまり国民多数の和解(赦免)という政治的な目的のためなら、その程度にはスケープゴートの罪業について物語を創作することは許容されるのだ。そして、同じことが比喩でなく、アフターコロナに実際の法廷で再現されないとも限らない。
具体的には、過剰な自粛によって倒産・廃業といった被害を受けた人たちが、損害賠償を求めて裁判に訴えることは正当だし、可能性としても十分考えられる。それでは誰が、国策を誤らせたのか。「A級戦犯」を特定し、その邪悪さをわかりやすく脚色して満天下に知らしめ、すべての責任をかぶってもらうわけだ。
被告は地位や財産を失うかもしれないが、そこは本人に生活様式を変えてもらえばいいだけなので、心配はない。何度もいうが、それが実際にかつて採られた再出発の手法であり、わが国が異議を申し立てたことは一度もない。
(中略)
(中略)私はいま、そうした「歴史」というものの無力さを痛感している。
短くとも数十年、長くて一千年単位の「時間の幅」を意識せずしては、歴史は書けない。この前提にはおそらく、多くの人が同意してくれるだろう。しかし人びとの記憶はいまや、一年間はおろか、一か月も続かないのが現状だと思う。
思い出してほしい。安倍晋三首相が全国の小中高校に、春休みまでの臨時休校を要請したのは二月二十七日。このとき識者や世論の反応は「唐突すぎる。現場の混乱や共働き家庭の育児など、副作用が大きく乱暴だ」というものだった。
ところが一か月経った三月末から四月頭にかけては、逆に「なぜ政府は緊急事態宣言を出さないのか」との憤懣が急激に高まり、煽られるように四月七日に安倍氏が緊急事態を宣言。それも「接触を八割減らすことで、一か月で封じ込める」とする、休校要請の比ではない極端な方針を掲げた。
しかし五月頭、首相が宣言の延長を決めたと報じられると、世論は「経済面での弊害が大きすぎる」として、再び悪影響を懸念する方向へゆり戻してゆく。
まるで一貫性というものがない。
実際にネットで何人かの識者の発言をたどると、緊急事態の宣言時には「接触八割減」の方針にもろ手を挙げて賛同し、実現不可能とする批判者を強い言辞で痛罵した人物が、一か月後の宣言延長時には、経済優先を掲げてしれっと反対論をぶっていたりする。まさか人との接触を平時の二割のみに制限して、持続可能な経済があると思っていたわけでもあるまいに。
(中略)
ところが三月二十八日、京都大の准教授が「『自分は今、感染している!(無症状で!)』『誰にも移(ママ)しちゃいけない!』そう考えるとこから始まる。コペルニクス的転回。パラダイムシフト」云々なる連続ツイートを行い、爆発的なリツイート数を記録する(本稿の初出時で約十二万回)。
これは自分を(症状がなくても無条件に)感染者だと思え、他人を見てもそう思えとする主張だから、換言すれば「むしろ先入見を持て」と唱えて支持を集めたことになる。
新型コロナウィルスによる死亡者数は(死亡率も)、欧米の方が日本よりはるかに高い。日本人どうしですら「自分は/あいつは感染者だ」と思いながら暮らすべきなら、より警戒すべき状況にある欧米人がアジア系をウィルス呼ばわりして、なにが悪いのだろう。当該の准教授や、彼を持てはやしたツイートの読者たちは、そうした想像力がないのだろうか。
ひとことで言えば、「ひと月前の自分」と今の自分は異なり、その現在の自分と「ひと月後の自分」も違う。
主張や感性が正反対のものになるくらい違うし、そしてなにより、そうしたあり方こそをまったく自然なものだと感じて、なんの違和感も覚えない人こそが、この国では標準的な人間らしい。そんな社会で、そもそも歴史がなり立つはずはなかったのだ。
もちろん歴史がなり立たないとは、「国民の多くが自らの過去をふり返って把握し、それを基に行動の指針を作ることができない」という趣旨である。逆にいうと、当人が意識しようがしまいが、過去に見られたのと同様に社会を動かしていく「流れ」自体は存在するし、そうした力動の作用を「歴史」と名付けて描き出す作業が、できる人も稀にはいる…(続く)
(『別冊クライテリオン』より)
続きは『別冊クライテリオン』にて。
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コメント
ここに言及されている、京都大の当該准教授が、同じ号に寄稿していると言う始末…
この准教授、当初はコロナ不安を煽った側の人間のはずなのに、藤井さんとライブの件で一緒に仕事してたのには驚いた記憶がある。
藤井さんよ、付き合う人間は考えた方がいいと思いますよ。藤井さんのコロナ関連の御発言に、すべてではないにせよ概ね賛同する私としては、このようなデマゴーグと付き合って、評判を落とすのはよろしくないと思います。
西部邁先生ではないですが、変節するのは良い。だけど、その理由を述べなかったり、数日や数ヶ月でコロコロ主張が180度変わるような人物は、単なるデマゴーグですよ。
いやあものすごい虚無ですね。
日本人ってある意味虚無的存在の最先端を走っていますね。
本当にすさまじいものです、1か月先の自分はもう忘却の彼方で存在もしていなかったかのような圧倒的な虚無感。
これは、もう論理など微塵も通じることのない思考不能世界です。恐るべき刹那の感情気分と空気のみの人間社会。動物の方が何も主張せずまだ自分の命がすべての行動に掛かっている分マシに思えます。魂というか何か重要な本質を失った人間存在の成れの果てみたいな感じでしょうか。