藤原辰史 著 『農の原理の史的研究 「農学栄えて農業亡ぶ」再考』 創元社/2021年1月刊 の書評です。
書評者:田中孝太郎
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この書評は『表現者クライテリオン』2021年5月号に掲載されています。
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以下内容です。
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食と農のプロセスは、簡素化と効率化の道を進み続けている。
加工食品の普及により、料理の手間は劇的に省けた。サプリメントやプロテインバーに頼れば、多忙な人でも、必要な栄養素を数分で摂取できる。細胞培養で生産された肉が、食卓に並ぶ日も近いかもしれない。
なぜこのような事態になったのか。それは、農学という学問自体に、合理性や経済性では測れない、食や農に固有の原理を消し去るメカニズムが埋め込まれているからだ。自然科学のみならず、農業経済学においても、理論の精緻化が進むほど、農民の感情や身体といった経済外的な要素は排除されていく。
本書では、工業化のただ中にありながら、農業の価値を守ろうとした農学者たちの闘いの軌跡が描かれている。だが、彼らの試みは、やがて陥穽にはまっていく。
明治から大正にかけ活躍し、日本の農学の基礎を築いた横井時敬は、疲弊しつつあった農村を存続させるため、頑健な農民は兵士として最適であると主張した。資本主義の枠組みの中で不利な立場に置かれる農業・農村を、軍国的観点から評価したのである。
また土地への愛着心や、地主と小作人の間の「情義」などの精神的要素も重視した。しかし、精神主義は農民に過剰なまでの勤勉を強制する。困難な状況でも、根性さえあれば乗り切れるという理屈である。
労働効率を損なうとして田植歌の廃止を訴えるなど、横井の議論は近代的な労働管理にも結び付くものだった。
横井の教え子である橋本傳左衛門は、農村困窮の打開策として満州移民を唱えた。その際、「大和民族」の優秀性を主張し、「文化的程度の低い」他民族を指導する役割を付与することで、植民地政策を正当化した。
ここでもやはり、農民の勤勉性が強調される。農学者たちは農の価値を、精神主義や軍国主義、自民族中心主義といった危うい「ロマン」に託すほかなかったのである。
ただし、一方的に批判するのはフェアではない。彼らは資本主義の矛盾を直視し、社会の不条理を是正するため、思索と実践を重ねていたとも言える。農村の貧困や公害など、現実の問題に常に目を向け、狭い専門の枠に閉じこもることもなかった。
広範な知見と地道な実地調査によって、イタイイタイ病の原因を突き止めた吉岡金市の活動は、横井の時代から連綿と続く、日本の農学の大きな成果だろう。
農の価値を排他的に説く農本主義に頼れば、かつての農学者たちと同じ轍を踏みかねない。そこで著者は、困難を承知の上で、医・食・心・政・技の領域と農を接合することを提案する。
重要な指摘であることは間違いないが、私はあえて「ロマン」の感覚を大事にしたい。
人種主義や帝国主義の正当化につながるような硬質の「ロマン」ではなく、夕暮れの田園風景に郷愁を覚えるような、素朴な感覚である。
もっとも、我が身を振り返ると、都会の片隅で出来合いの総菜を一人頰張っているような人間に、農のロマンを語る資格などないのかもしれないが。
(『表現者クライテリオン』2021年5月号より)
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