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【金子宗徳×柴山桂太×浜崎洋介×川端祐一郎】戦争と人文学~歴史・民族・アイデンティティ~第三回

啓文社(編集用)

啓文社(編集用)

皆さんこんにちは。
表現者クライテリオン編集部です。

 前回、前々回に引き続き、2022年7月号(103号)より金子宗徳先生、柴山桂太先生、浜崎洋介先生、川端祐一郎先生の特集座談会『戦争と人文』を四回にわたってお届けしております。

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 ロシアはなぜ、ほとんど全世界を敵に回してまで、隣国への大規模な侵略に踏み切ったのか。その背景には、軍事上の安全や経済上の利害のみならず、国家としてのアイデンティティや歴史的使命に関わる動機がある。それらに「妄念」めいたところがあるにしても、国家の行動原理として現実に力を持っているのである限り、無視するわけにはいかない。

 かつての日本の大東亜戦争も、多くの理念や使命感に彩られたものであった。日露それぞれの民族の成り立ち、文明の性格、思想の構造などを比較しながら、戦争の人文学的側面について討議を行った――。

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 日本国体学会理事としても活躍する金子宗徳先生を迎えての座談会。一回目、二回目の内容と合わせて是非、ご一読ください!!

以下リンク

第一回第二回

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【特集座談会】

『戦争と人文学』 歴史・民族・アイデンティティ

金子宗徳×柴山圭太×浜崎洋介×川端祐一郎

 

日本の「和気藹々」とロシアの「混沌」

浜崎 ロシアの新ユーラシア主義は、梅棹忠夫の言う「第一地域」(中緯度温帯地域)と、「第二地域」(大陸の乾燥地帯)の違いを前提にしたときに、ようやく、そのリアリティが見えてくるかもしれません。
ウクライナ戦争にしても、開戦当初はともかく、今は、東南部を獲ることに集中している。
エマニュエル・トッド的にいえば、ウクライナ西部は核家族主義であり生活形式も違うから、プーチンもそこまで手を伸ばす気はない。
つまり、第一地域=国民国家と、第二地域=帝国の伝統を前提として動いているロシアと、その違いを知らず、第二地域の中国大陸を第一地域の日本に併合しようとした五族協和との間には、実は大きな差があるのではないかと思います。

 ただイデオロギーの面だけでいうと似ていて、ロシアで新ユーラシア主義を唱えているドゥーギンの理屈は、田辺元の議論を思い出させます。アポロン的ロゴスがイデア的無時間性(古代)を象徴し、キュベレー的ロゴスが混沌と進歩的時間性(近代)を象徴し、そして、その両者を媒介するのがディオニュソス的ロゴス(中世)でうんぬん……という話がありますが、これなんかは、田辺の個と類を媒介する「種の論理」(具体的民族)なんかに似ていますよ。
つまり、ヘーゲル的な弁証法の構築の仕方だけは似ているんです。

 ただ、日本人の場合、「種の論理」を大陸にまで押し広げる実体がなかったので論理だけが空回りしてしまった。
でも、ロシア人にはもしかすると、何かしらの実体の手応えがあるのかもしれない。

川端 最近、戦前の京都学派の東亜秩序論を読んでいたのですが、確かに思弁的で、政治理念としては形にしづらいものです。

 西谷啓治は、近世になって初めて人類は客観的・中立的なものとしての「世界」という概念を持ったが、それは未だヨーロッパ的偏見に覆われていると言う。
そして日本が、欧米に伍していけるほどの強い基軸を東アジアに打ち立てれば、それによって人類は、より中立的で客観的に「世界」を見ることができるようになるだろうと。
三木清は「東亜新秩序のために頑張ろうぜ」みたいなことをたくさん書いていますが、西洋近代を乗り越えるためにはコミュニズム、ファシズム、自由主義のいずれとも違う新たな政治理念を作らなければならないと言っていて、これはドゥーギンの『第四の政治理論』と切り口が全く同じですね。

 そして西田幾多郎は、ヨーロッパの国々が空間的に領土を拡張しながら「他者」と出会い、自他の間の緊張を管理する術を発展させてきたのに対し、日本は同じ土地の中で自己の内面を問い直し、昨日の自分と今日の自分の矛盾を時間軸に沿って乗り越えることで発展してきた。
ヨーロッパは横向き、日本は縦向きのプロセスということなのですが、近代になって「世界」が一つの空間として現れた以上は、日本的な「縦」の思想が世界の模範になりうるという。それから、皇室というのは不思議な存在で、それ自体は「無」であるが、それ故に全てを包み込む不動の参照点たりうる。
これこそが、八紘一宇の秩序のモデルであると。

 これらは哲学としては面白い。
ただ、これで政治ができるかというと難しい。西洋の一極支配への反感だけが唯一具体的で、これはロシアにもあるわけですが、「アンチ」だけでは秩序の土台にはならないですし。

浜崎 例えば小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』もある種のロシア論として読むことができるんですが、その驥尾に付していえば、ロシア的な反近代主義と、日本のアジア主義を含んだ「近代の超克」論とでは、なんというか、全くその手触りが違うんですよ。

 この違いは、ドゥーギンなんかを見ると分かりやすいかもしれない。
彼は京都学派的な論理を日本浪漫派的な情念で謳い上げる感じですが、そこにないものが一つあるんです。
それが、同じ「近代の超克」座談会に出席していた『文學界』的な傾向です。この座談会には日本浪漫派と京都学派に加え、小林秀雄や河上徹太郎の『文學界』メンバーも参加しているんですが、彼らだけが「和気藹々」としている(笑)。
マルクス主義からの転向組も、自由主義者も入れてやっていこうじゃないかと。
この鷹揚さが日本人の感覚にフィットする。

 でも、これがロシアの反近代主義になると、ツァーリズムになるんですね。
急進的文芸批評家であるべリンスキーでさえ、“ロシアにはツァーリズム以外の道はない”と言ったといいますが、そのツァーの独裁を導いているのは、おそらくロシアの大地の混沌でしょう。
国土が広すぎる上に多民族で、しかも市民社会の伝統も、個人主義の基盤もない。
そんな混沌渦巻く場所で、どうやって一つの共同体を作り上げるのか……その問題にロシアはずっと苦しんできた。

 それでちょっと思い出したんですが、カネフスキー監督の『動くな、死ね、甦れ!』(一九八九年)とか、ゲルマン監督の『神々のたそがれ』(二〇一三年)なんていうロシアの現代映画を観ると「ロシアの混沌は、今もまだ続いているんだ」という感慨に打たれますよ。
ドストエフスキーの頃から何一つ変わっていない。あの「混沌」の感覚と、日本人の「和気藹々」の感覚は決定的に違います。

 ただ、西洋の近代文明から、いかに自分たちの生き方を守るのかという「アンチ西洋」の気分だけでいうと、日本人とロシア人とは、案外に頷き合う関係を作ったりもできるのかもしれませんが。

川端 先ほど触れたソルジェニーツィンは、九〇年代半ばに四年くらいかけてロシア中を旅して回り、何百回も講演をして民衆の声を聴き、何千通という手紙を受け取った。
そして周辺共和国に難民として取り残されたロシア人の苦境や、横暴な財閥と無責任な政府に対する労働者の憤りに心から同情しているのですが、彼の観察では、「自治」の気概を持ったロシア人は一人もいなかったらしい。
自分たちで組織を作って社会を統治するという発想がなく、強い指導者が現れて仕切ってくれるのを待っているだけで、要するにパターナリズムが身体の隅々にまで染み込んでいるわけです。日本はどちらかといえばボトムアップ社会なので、対照的ですね。

 それともう一つ、雑誌『ゲンロン』のロシア思想特集で、ロシア文学者の貝澤哉氏が、ロシアには柳田國男のような民俗学者がいないと言っていたのが面白かった。
日本人は、柳田的な民俗学や『まんが日本昔ばなし』のような物語を通じて、都会の人間ですら「田舎の農村には、我々の心の故郷がある」という感覚を共有していますよね。
そしてそれが、民族意識の母体になっている。ところがロシアには、「故郷としての田舎」みたいな共通感覚がなく、それを語ろうとする知的伝統もないらしいのです。先ほどの「和気藹々」の欠如の背景には、そういう事情もあるのかなと想像しました。

 

アングロサクソン支配の揺るぎなさ

柴山 日本とロシアの共通点は、世界システムの「周縁」から近代化をスタートしたということです。
西洋でもドイツは後発国なので、事情は似ている。
「周縁」にいる国々は、英米型の個人主義やリベラリズム、民主主義に対抗して自分たちの文化的な独自性をぶつけようとしますね。
ただ、そこには罠もある。というのも、その枠組みでやっている限り、アングロサクソンには勝てないからです。

 イギリスの思想史を学んでみて思ったのは、そもそも彼らは固定的な原理で動いていないということです。
個人主義と言いながら集団主義的でもあるし、自由主義と言いながら国家主義的で、民主主義を看板に掲げているものの内実はおそろしく権威主義的でもある。
言っていることとやっていることが違う、その不純さをなんとも思わないのが「強者」の立場であって、それに対抗する後発国が、自由主義や民主主義を乗り越える第三の立場だ、などと思想的に先鋭化した戦いを挑んでも、どこか空振りに終わってしまうところがある。

 一九四一年に京都学派の四天王が「世界史的立場と日本」という座談会をしたのは有名ですが、同じ時期に英米は何をしていたかというと、ケインズとホワイトが会って、戦後の国際経済秩序をどう作るか話し合っているんです。
日本では個人主義や資本主義、民主主義を乗り越えていく理論を考えようとしているのに、向こうはそういう抽象論は二の次で、金本位制後の国際金融、国際貿易の枠組みを考えるという超実務的な話を詰めていた。
つまり国際新秩序の構想は、日本にとっては理念的で観念的な問題だったのに対して、英米ではすぐれて具体的で実務的な問題として考えられていた。
この差はやはり大きかった、と言わざるを得ません。

 後発国が「道義」の戦いを挑んでいるのに、中心国はもっと具体的な統治原理とか、各国が共存できる国際通貨や国際貿易の枠組みを考えている。
今も状況はそれほど変わっていなくて、アメリカの知的ヘゲモニーは、この部分で他が追いつかない限り揺るがないと思うんです。
世界が真に多極化するためには、国際政治経済秩序の具体的なあり方を巡る知的な争いで、説得力のある枠組みを作らないといけない。

浜崎 ただ、ロシアも日本もそうだと思いますが、具体的な統治の枠組みだけで勝負しようとすると、あまりにハンデが大きい。

 特にロシアの自然は、寒すぎる冬にしても、広大すぎるステップ(草原)と暗すぎる森にしても、雨に恵まれない農地にしても、なんというか個人の「自由」がほとんどない。
そんな不毛の地で何百年もやっていると、外界に対する自由で明るい操作性というか、乾いた実務性のようなものは育ってこなかったんじゃないかと思うんですね。

 ただ、ロシア人は、そういう自分たちの性格に劣等感を感じているのも事実で、そんな劣等感を感じさせる現実を、だから、「精神的な力」で乗り越えようとしてきた。
つまり、精神主義的なものに前のめりに突っ込んで、それを物語にしてしまう。
悪循環といえば悪循環ですが、だから必然的にアングロサクソンに負けるんです。

柴山 それも分かります。ただ、アメリカがなぜその地位を維持できているかというと、自由民主主義の理想が素晴らしいからではなくて、その種の理想を統治の道具として平気で利用してしまえるほどの現実的な政治感覚を持っているからです。
対抗しようとする国は、それに匹敵する統治のノウハウみたいなものを身につけないことには、多極化はできない気がします。

 プーチンが力を得たのは、オイルマネーのおかげですね。二〇〇〇年代は世界の景気が良かったから、原油輸出国としてのロシアの地位が向上した。
逆に世界の景気が悪くなればプーチン体制も危なくなる。
そういう意味では極めて他律的です。
この構図を変えない限り、仮にベラルーシとウクライナを自国の勢力圏に組み込めたとしても、経済制裁その他の包囲網を敷かれ続ければいずれ立ちゆかなくなる。
世界が安定した多極的秩序に移行するには、壁はまだまだ高いと思います。

 

「陰キャ」としてのロシアと日本

川端 おそらく当分、アングロサクソンの支配は揺るがない。
少なくとも近代という時代の覇者はどうしようもなくアングロサクソンで、彼らが大きな顔をするのは歴史の宿命という感すらある。
中国が台頭しても、国際法や資本主義に相当するものをイチから整備して「世界秩序」を作り上げられるとは思えません。

 話のレベルは下がりますが、スクールカースト(学校のクラス内での序列)でいえば、アングロサクソンは性格が明るくて女の子にも評判がいいクラスの中心的存在で、最近の若者言葉でいえば「陽キャ」に当たります(笑)。

柴山 となるとロシアは超陰キャですね(笑)。

川端 ドイツや日本も、近代の歴史の中では「陰キャ」ですよね。
変な喩えだと言われそうですが、クラスの人気者というのは、多少暴力を働こうが成績が悪かろうが、地位が簡単には揺るがないわけで、国家間関係もそれに似たところがあると思う。

 それから、学校生活と同じで、日本のような陰キャの国が、陽キャの連中と関わりながらアイデンティティを作っていく際、上手くやらないと色々なこじれが生じると思います。
陰キャには陰キャの生き方があり、クラスを先頭で率いるだけが人生じゃないのですが、折に触れて「二等国」としての劣等感を覚えもするので難しい。
私は、「アングロサクソン君がクラスの中心です」とあっさり認めるぐらいの気持ちがないと、劣等感が不健全な方向に膨らんで、我々自身のアイデンティティも安定しないんじゃないかと思っているのですが。

柴山 その比喩でいうと、日本はそれが嫌で、クラスのモテる奴(アメリカ)に喧嘩を仕掛けてタコ殴りにされたわけですよね。
それで諦めたけれど、同じく負けたドイツはその後、しっかりとEU・ユーロを作って、ヨーロッパというクラスではスクールカーストのトップになった。

川端 ドイツはいわば「大学デビュー」組ですね(笑)。
僕は大学デビューも少し気に入らないところがあって、というのは、陰キャであった過去の自分を記憶から消し去ろうとするからです。
「俺たちは一緒に枢軸国で頑張ったじゃないか」と言いたくなる。
でも、今回のロシア問題でも分かりましたが、英米がいきり立った時に、多少の防波堤になるのがドイツなんですよね。
何年か前のロシア国民のアンケート調査を見ると、一番の友好国はベラルーシで、二番目がドイツでした。
また、移住しなければならなくなったとき、一番行きたい国はドイツで、一番行きたくない国がアメリカ。逆にドイツ人の方にも、けっこう親露感情があるという調査結果がある。

柴山 中国でも一番人気の外国はドイツですからね。

川端 ドイツは、世界の陰キャ民族の琴線に触れるものを持っている。

柴山 それはそうなんですが、ドイツは陰キャに甘んじることなく地位を引き上げたし、ロシアだってアメリカ主体の秩序に対抗しようとしていて、そういう力の相剋こそが歴史なんじゃないかということです。
これからも中国やインドが挑戦していく中で、日本だけ「まぁ我々陰キャだし」とやっていていいのか、と思いますね。

川端 日本は、陽キャの腰巾着をやっている、中途半端な大学デビュー組といったところですかね。
一応、西側に入っているので。それが一番情けないかもしれない。
戦前のアジア主義者は、上手くはいかなかったけど、西洋とは異なる秩序の理念を自ら打ち立てる努力をしていた。
我々は、彼らに比べてむしろ後退しているんじゃないですかね。

 

今回はここまで。次回最終回。更新は6月30日の予定です。

 

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