『カッサンドラの日記』14 超高層ビル狂騒曲——神宮外苑とゲニウス・ロキ

橋本 由美

橋本 由美

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 都心は再開発ラッシュである。子供の頃の東京の景色など何処にもない。最近の変化は激しくて、半年も足を運ばないでいると、まるで知らない街に迷い込んだような所もある。この一世紀の間には、震災と戦災で焼け野原、オリンピックや高度成長と変化し続けて、百歳の老人が子供の頃に見た風景は、いまでは時代劇の一場面だろう。

 都心の新築マンション価格は、とにかく異常だ。2年前に出来た表参道の高級マンションは、販売価格が一戸67億円で話題になった。不動産評論家の牧野知宏氏によれば、都心の「超・超高級」マンションの坪単価は3000万円を超えるという(坪単価です!)。今後建築予定の超高層ビルの最上階の住居エリアには、一戸300億円だの500億円だのという豪華な住居もできるのだそうだ。当然、新聞広告に載るわけもなく、日本人にはダイレクトメールも送られてこない。海外の超富裕層やIT企業の法人が購入するのだろう。

 「一般向け」の高級マンションも、都心部(都心5区/千代田・港・中央・新宿・渋谷区)では狭いファミリータイプで2億円、100平米を超えると4億円台がザラにある。平然と「〇億」という数字が踊っている大手不動産会社の折り込みチラシが毎日のように新聞に入っている。これらの「一般向け」でも日本人は相手にされていない。チラシには英語の他に中国語の簡体字と繁体字(台湾・香港)が併記されている。円安で、海外の富裕層にとっては「お買い得」なのだろう。ディベロッパーにとっては売れればいいのであって、買い手が誰であっても構わない。貧乏な日本は、植民地になったようなものだ。湾岸エリアのタワーマンションでも、パワーカップルが多額の長期ローンを組めばなんとか購入できる「庶民向け」区画は、ぐっとお安くなって1億円ほどでも販売されている。

 一棟に何百世帯も入居するタワーマンションは、それだけで一つの町であり、嘗てのニュータウンと同様に、住民が一斉に退職して高齢化する。その頃は建物も老朽化しているが、ローンで財布を目一杯はたいてしまっていたら、高額な修繕費も払えない。外国人購入者はさっさと売り逃げていて空き室が増え、大規模修理の分担金が増しても、年金生活の老人ばかりでは合意形成は難しくなる。結局、修繕もできずに老朽化が進み空き室は放置されスラム化するだろうと、多くの不動産アドバイザーが「予言」している。

 高層ビルはタワーマンションだけではない。再開発で都心には超高層オフィスビルが次々と出現している。12月には麻布台ヒルズがオープンして大勢の人が詰めかけたというニュースがあったし、東京駅八重洲口で着工したTOKYO TORCHは日本一の高さになると注目されている。どのオフィスビルも、大部分を占めるオフィスエリアとホテルは中層階にある。下層部はショッピングエリアで高級ブランドのテナントが入り、上層エリアの住民用に高級スーパーマーケットもある。高級イメージが売り物の、世界のどこにでもある「国籍不明の人工空間」である。昔ながらの下駄履き商店街のほうが余程面白くて楽しい。今後の建設予定もかなりの件数だと聞くが、既に食傷気味でうんざりしている。人口が減少していく上にテレワークも進んでいるのに、巨大なハコモノがニョキニョキ建設されていくのは、異様な光景だ。

 先月、日経新聞の「国内オフィス投資に変調」という見出しが目に止まった(2023.11.30朝刊)。オフィスビル不動産の買い手は海外の投資ファンドである。世界の金利上昇に伴う海外不動産不況の余波で、相場の牽引役だった海外勢が日本の不動産市場で売り越しに転じたという記事である。欧米のオフィスビルの価格が急落しているため、相対的に市況が堅調な日本の物件を売って埋め合わせをしているらしい。そういえば、この夏、汐留シティセンターのショッピングエリアがシャッター街になっているという話を聞いていた。汐留は、国鉄時代の貨車専用駅で、明治維新の鉄道開通の際には「汽笛一声」の新橋ステイションだった地区である。2003年に再開発で43階建ての汐留シティセンターとなった。そのオフィスビルの持ち分の大半を所有しているシンガポール政府系ファンドが売却を始めたという。主要テナントの富士通の退去も決まっているし、日本テレビも、もとの麹町の地所に戻る計画があると聞いた。

 

 Newsweek誌上で、経済評論家・加谷珪一氏のコラムに興味深いことが書いてあった(10月31日号)。どう見ても、都心の再開発の進み方は過剰なのに、開発業者にはそれなりの勝算があっての決断で、この開発ラッシュは収まりそうもないのだという。加谷氏のコラムを要約すれば、次のようになる。

 ——日本では人口減少でオフィス需要は減っていくが、人口減少社会は利便性の高い地域への人口集約を伴うので、立地条件が良く築年が新しいビルは、テナントを確保できる確率が高い。なるほど、都心の一等地ならば、近隣の古いビルに入居しているテナントを奪えるので、採算が取れるのだそうだ。ここからが問題である。古いビルと言っても、都心の一等地にはボロボロのビルは滅多にない。変化が激しく、常に建て替えられている。そういう地域に超高層オフィスビルができると、築10年くらいのビルのテナントが、新築ビルに奪われるという現象が起こっているのだそうだ。テナントが玉突き状態で新しいビルに移動していく。再開発地域の周辺では、たった10年ほどで建物の価値が下がってしまうことになる。需要に対して過剰にインフラを整備した場合、経済圏全体での「減価償却額」が過大になると予想され、企業利益が一定だった場合、減価償却が増えた分は雇用者報酬に皺寄せが行く、と、加古氏は懸念しているのである。

 華やかな超高層ビルのオープンは、日本人の賃金を犠牲にしていることになる。賃金アップが叫ばれているなかで、大規模再開発の超高層オフィスビルによって、賃金圧縮の負の力が働いてしまうのだ。都心の一等地ならば、テナントに逃げられたビルでも、立地のよさで別のテナントが見つかるだろう。けれども、東京全体で見れば、パイの奪い合いであることに変わりない。一見、経済が活性化したように見えても、新しいものを生み出しているわけではないのだ。乱立する超高層ビルも、今後の金利政策や世界情勢の変化によって、汐留のように海外ファンドに見放されて空洞化するところが出て来るだろう。

 東京は首都であり巨大な人口を擁しているから、当分は需要が見込めるのだろう。ディベロッパーは、資金が回収されて採算が取れれば、あとは野となれ山となれである。けれども、玉突きでますます都心に集中すれば、奪われるだけの地域も出て来るはずである。そこには住民がいる。超高層オフィスビルの乱立は、都内に空洞化する地域や建物を増やすことにならないのだろうか。地方都市でも高層ビルの建設が進んでいるが、もっと直接的な影響はないのだろうか。長期的には、人口が減っていく。新興国のように今後の高い成長による需要が期待できるわけではない。いま、奪い合いで一見活性化している経済は、いつか破綻しそうだ。加古氏が言うように、政府は寧ろ「長期的な成長を促す設備投資や技術開発にマネーが回るよう、産業界を誘導する」べきではないだろうか。この先何十年かの「日本の老後」を見据えて、上手に「成熟」するような「成長」を考えなくてはいけない。

 先祖代々東京に住んでいる住民としての実感は、いまの東京は効率が良く便利ではあるが、真に住民のための街ではないということだ。地方の街のように地域の伝統や文化を守りたいと思っても、人の流動が激しく、巨大資本が集中的に投資する場所であれば、開発の余波や相続税で地元に住み続けられる人は少なくなり、地域の歴史や伝統は忘れられていく。大都市の宿命で、その土地の来歴など知らない人たちが利益を求めて荒らしまくる

 「神宮外苑の再開発計画」は象徴的だ。この問題は、古木の伐採という緑の環境問題や子供たちのスポーツ広場を失うということだけにあるのではない。イコモス(国際記念物遺跡会議)の勧告に従おうということでもない。「明治神宮の外苑」という場所に相応しい開発ではないということが問題なのだ。学徒出陣の重い歴史を刻む地でもある。所謂「トポス」の問題である。「場」は、人間にとって単なる物理的・幾何学的な空間ではない。日本語で「間」「場合」「場面」「一場」「満場」「本場」「場違い」「場末」などの語彙は、「場」に内在する豊かな意味を表している。英語のplaceラテン語のlocusギリシャ語のtopos、どの語であっても、その具体的な意味と象徴的な意味は「場」と人間との多彩で深い関りを示している。「場」は「有」にも「無」にも関わる。西洋的な「主体と存在(有)」にも「場」は必要で、西田哲学では存在根拠を「主体と有」の対極の「場と無」に見出した。「明治神宮の外苑」に、超高層ビルという「主張する主体」は相応しいだろうか。

 18世紀の成長期のイギリスの土地開発で、保守層の間で造園思想に「ゲニウス・ロキ(genius loci)」が顧みられるようになった。ラテン語のゲニウス(守護霊)とロキ(土地locusの属格)を組み合わせた語彙で、古代ローマの土地の守護霊のことである。どの土地にも特有の「霊」があるから、その霊に逆らわずに建物を建て、地域性を損なわないような地域開発をすべきだという考え方によるものだ。「神宮外苑の再開発計画」は、ゲニウス・ロキを無視して、どんな場所にでも儲けのチャンスがあれば超高層ビルを建ててしまおうという「精神性の欠如」そのものである。小池都知事は認可に当たって「経済効果が期待される」「経済が活性化する」と前向きだが、この地が「経済的効果」としか結びつかない発想の貧しさは、神社が宗教法人化したことに問題があるのかもしれない。

 明治神宮とその外苑は、神社だけのものでも東京都民だけのものでもない。駅前の再開発や埋立地の街づくり計画とは異なるはずだ。施設の老朽化や建設費用の問題があるとしても、都知事ならば、外苑を金儲けの土地にせずに、次の世代に向けて外苑らしく守り続けられるような再開発を考えてほしいものだ。ゲニウス・ロキは、代々土地に棲む人々の畏れが生んだ精霊と言える。土地に対する想いは世界共通の感覚で、どこであっても人々はそこに人知の及ばぬ神や精霊や怨霊を感じて暮らして来た。人は「場」に抱かれていることを忘れてはいけない。「場」への畏れを失った人間の計画は浅はかなものだ。

 近い将来、首都圏には巨大地震が必ず襲う。超高層ビルの乱舞に、首都の下に眠るゲニウス・ロキは復讐の秋(とき)を窺っている。

 

 


〈編集部より〉

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コメント

  1. 田中文明 より:

    外苑再開発によつて樹木は増える。緑の環境問題とは一体なんのことだ。
    子どもたちのスポーツ広場を失ふとあるが、そんなものはハナから存在しない。再開発によつて、誰もが立ち入ることのできる公共スペースがはじめて誕生する。
    明治神宮の外苑周辺にはすでにビルが立ち並んでをり、新たに立つビルも配慮されてゐる。精神性の欠如を言ふ前に、己の不勉強と批評精神の欠如を嘆きなさい。
    何もかも間違つてゐて、事業者が計画し、都議会が審議し、都知事小池百合子は議会を追認したに過ぎない。ハナから都知事がどうかうできる問題ではない。
    明治神宮が内苑の森を未来永劫残さうとして、神苑を将来にわたつて切り売りしないで済むやうにと、今後百年を見据ゑて今回の再開発は行はれるのである。調べずに書くのはやめなさい。
    神宮外苑再開発によつて震災時における都民の避難スペースが広がり、防災備蓄倉庫が用意されることなども知りはしないのだらう。

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