「新鮮な御遺体の解剖に行きます!!」-炎上した不適切投稿
「いざfresh cadaver(新鮮な御遺体)解剖しに行きます!!」
この一言から始まるSNS投稿が数十万件もの表示数を記録し、医療界を中心に大きな波紋が拡がりました(注1)。東京美容外科・沖縄院院長を務める医師の黒田あいみ氏が、「いざ解剖研修@グアム!→打ち上げ☆」とのタイトルで、2024年12月2日にブログやインスタグラムに「今回は fresh cadaver (新鮮な御遺体の解剖)で勉強をしにきていて」として写真などをアップしたのです。
解剖が行われている様子を背景に他の医師ら数人と並んで黒田氏が笑顔でピースする記念写真や、「頭部がたくさん並んでいるよ」として解剖中の献体の頭部がずらりと並んだ写真に絵文字付きのコメントを添えて投稿しており、概ねモザイク処理がなされてはいたものの、モザイクが外れて献体が確認できる写真が一部含まれていました。一連の投稿にはランチに食べたというピザやサンドイッチの写真も並べて「いや~~~朝から晩までの解剖は本当に疲れました」「もうぐったりでした」などと絵文字混じりにつづっており、「不謹慎で不適切な投稿」であることは明らかです。
解剖実習は、ホンモノの人間のご遺体を使って行われることから、医療従事者として、医療倫理の遵守、献体として自らの身体を提供した方やご遺族に対する敬意と節度のある対応が求められるのは論ずるまでもない当たり前のことです。
黒田氏の投稿はすぐにネット上で拡散され、医療従事者に求められる倫理観が欠如した自己顕示欲と承認欲求を満たすための軽率な行動であるとして批判の声が高まり、炎上することになりました(注2)。
例えば、高須クリニックの高須克弥院長はX(旧Twitter)で「南無阿弥陀仏。馬鹿医者め!クズ」と投稿し、堀江貴文(ホリエモン)氏は「ついに一般レベルでも明らかにやっちゃダメなことを晒してしまったなというレベル。御献体の写真を晒すとかマジ有り得ない」「ほんと医師免許返上するのをお勧めするレベル」と怒りをにじませました。
また、実業家・西村博之(ひろゆき)氏は「解剖のための献体をインスタ映えに使った美容外科医。人の命を救える技術を、健康を害する可能性がある金儲けに使う美容整形外科医はモラル的にどうなんだろう」「美容外科医のモラルなんてこんなもんだ」と投稿しており、タレントのスマイリーキクチ氏は「献体の前でピースサインしながら複数人が笑顔で撮影してその様子をSNSに投稿する。この行為を周囲で誰一人咎める人もいない。遺体が映えスポットって」と驚きをつづり、「目の前の遺体には遺族がいるのに、医師になるとそんなことも感じなくなるのか。群集心理と承認欲求は罪だ。凡人にはカルト教団のように感じてしまう」とコメントしています。
ネット上では、医療関係者や著名人のみならず、一般の人々からの批判のコメントや(この不適切な投稿をきっかけに)臓器提供を拒否する声などがあふれています。
「解剖→打ち上げだけでもやばい雰囲気なのに、まさかご遺体とピース写真とは」
「学生でも解剖実習中にご遺体を使ってふざけるようなことをしたら一発留年だし、悪質だと停学・退学もありえるのに、お医者様がこれではねぇ」
「(普通は)ご遺体に感謝と申し訳なさで躊躇し涙するんじゃないのか?命を救う医師にはそうあって欲しい」
「倫理観に欠ける」
「不謹慎極まりない」
「故人や遺族の気持ちを踏みにじっている」
「医者たちの倫理や、献体への尊厳ある対応を信じていたのに…」
「解剖実験での献体への敬意を欠いた医者たちの投稿には愕然とした」
「死んだ後に医者のおもちゃにされたくありません」
「臓器提供やめるわ」「今回の件で、『(臓器は)提供しません』に意志を変更します」
「自分の体が医者の承認欲求のために使われるの本当に嫌」
「こんな自己顕示欲しかないバカのインスタネタにされるとか最悪」
謝罪と釈明で再炎上-火に油を注ぐ当事者たち
自らの投稿がネットで炎上したことを受けて、黒田氏は12月23日までに投稿を削除し、「グアムでの解剖研修の投稿について」とブログを更新しました。
「医師として解剖の知識とスキルの向上のために新鮮なご遺体で解剖させて頂ける機会というのは非常に稀で、基本的には日本ではできません」「医師としてより向上し、患者様の満足度をよりあげるため、今回の研修に参加することにしました」「同じ医師の中でもこういった機会があることを知らない医師も多く…そんな機会があることをより多くの医師に知ってもらいたい、より多くの医師に知ってもらうことでより安全に、より多くの患者様の満足度をあげることができると思い、投稿しました」と投稿した経緯を説明し、「ご献体くださった方々とそのご遺族の方々、またこの研修を開催してくださった関係者の皆様には心から感謝申し上げます。改めて人としての倫理観が欠如した投稿をしてしまったことについてお詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした」と謝罪しています(注3)。
また、黒田氏が所属する東京美容外科の統括院長である麻生泰氏は、12月21日にXで謝罪した上で「解剖をする事は外科医にとって、とても重要な意味を持ちます。臨床に携わる医師が解剖する事は、学生時代との解剖とは違い、患者さんに直結して還元できる事が大きいです。腕の良い外科医を作るうえではなくてはならないものだと考えています。全ては患者さんの利益になる事だと考えます」と解剖の意義に触れています。
そして、黒田氏の投稿について「この(投稿された)写真は、アメリカで解剖している事ですので、日本ともルールが異なります」「精度の高いfresh cadaverを初めて目にした感動をなんとか伝えようと、あのような投稿になってしまいました」「投稿は既に削除されております」と釈明し、今後の処遇については「(投稿が不適切であったとしても)動機は善で、彼女に他意はありません」と述べた上で「様々な方々から、大学の先生を含め、黒田医師を解雇するように助言がございました」「確かに不適切な投稿はございましたが、黒田医師は東京美容外科の方針に従って、より患者さんに対して安全な治療を学ぶためにグアム解剖に参加されました」「一般の方々からのご批判は、当然受け止め、反省は致しますが、同業医師でありながら不勉強でfresh cadaverという言葉すら知らない医師に批判されたまま、炎上でトカゲの尻尾切りのように解雇する事はできないと判断しました」として黒田氏の解雇を否定しました(注4)。
黒田氏と麻生氏の謝罪と釈明は火消しを狙ったものでしたが、「謝罪であるというよりは自身の行為を正当化するようなものである」と受けとめられ、「批判されているのは、解剖することではなく、SNSに献体の写真をアップしたことやご遺体に対する敬意が感じられない文章であるということを理解していないのでないか」「論点をすり替えようとしている」「全く反省の色が見えない」「自己弁護に終始している」とさらなる批判を招き、火に油を注ぐこととなりました。一般の人々からも「なぜ素直に謝れないのか」「正当化しようとしているのが見え見え」「これで許されると思っているのか、不思議で仕方ない」などといった、厳しい意見が寄せられています。
例えば、小説家で医師の知念実希人氏は、麻生氏の謝罪文に対して「未だに何が問題だったのかを全く理解できていないで、あたかも自分たちが理不尽な批判を受けている被害者のように本気で思っていることが本当に恐ろしい……」と疑問を呈して、自らの見解を示しました(注5)。知念氏は、麻生氏が記した「死者の尊厳も大切ですが、今生きている人の命や安全も大切なんじゃないでしょうか?」に対し「死者の尊厳と、生きている方の命や安全はトレードオフするものではありません。患者さんに還元するから、亡くなった方の尊厳を毀損していいわけがありません」と指摘し、「日本の医療の進歩を妨げているのはどちらの方なのか今一度考えて頂きたく思います」には「どう考えても、医療倫理に反するあまりにも非常識な行動をとった貴方がたです。なぜ、自分たちが非難されているか分からないなら、医療をする資格がありません」と断じています。
また、12月26日には、今回の騒動を受けて日本美容外科学会(JSAPS)が理事長名で声明を発表し、黒田氏が献体の写真をSNSに投稿したことについて「医療従事者としての倫理観を著しく欠いたもの」と指摘し、遺体の解剖に当たっては「厳格な倫理規範の下で行動している」など学会の姿勢を説明しました。その上で、今後、学会内外で啓発活動と管理体制の強化を図る方針を示しています(注6)。
前述したように、当初、東京美容外科は、黒田氏を解雇することを否定していましたが、謝罪文を発表しても騒動を収束させることができず、火に油を注ぐことになってしまったことや日本美容外科学会が声明を発表したことを受けて、黒田氏の解任―あくまでも解任であって解雇ではない―を発表しました(注7)。
また、同院の統括院長を務める麻生泰氏は同日に自身のXで「今回の騒動で、沢山の皆さんに御迷惑をおかけした事をお詫び致します」と謝罪し、「私の指導力不足と対応能力の欠如を問われても仕方がないと考えております」と自身の指導力不足としつつ「献体や臓器提供を一度でも考えた事がある方やその御家族に対し、医療に対する信頼を妨げた事を、重ねてお詫び致します」などと記しています。
恐らく、黒田氏の解任と麻生氏が再び謝罪したことをもって今回の騒動は収束に向かうことになるものと思われます。炎上するネタが日々供給され続ける現代社会においては、極めて近い将来-早ければ、この記事が掲載される頃-には、既に過去の出来事として忘れ去られてしまっているということもあり得るような気がしてなりません。
我が国に拡がる「キャンセル・カルチャー」のおぞましさ
黒田氏による不適切な投稿が、医療従事者としてというだけではなく、人としての倫理にも反する行為であり、とても容認できるものではないことは、改めて確認するまでもない自明のことです。今回の不適切投稿の問題を受けて、ネット上では黒田氏の医師免許剥奪の可能性についても取り沙汰されています(注8)。
医療の世界において、今回の黒田氏による不適切な投稿が前代未聞の不祥事という訳ではありません。過去にも医師をはじめとする医療専門職や医療系の学生が患者の個人情報をインターネットにアップロードしたり、臓器の写真をSNSに投稿したりした事例をはじめとして「不適切・不必要な医学・医療情報の収集や投稿」「医療情報についての守秘義務・プライバシー違反」「医師としてのプロフェッショナリズムの逸脱・倫理観の欠如・悪ふざけ」などといったSNS関連のモラルハザード事例は継続して発生しており、そうしたケースでは学生の自主退学や医師の懲戒解雇に繫がった例も少なくありません。
医師免許の剥奪は、医師法に基づく極めて重い処分であり、通常、重大な犯罪行為や倫理違反が繰り返される場合に適用されます(注9)。医師免許が剥奪される主な対象は医師法に定められており、罰金以上の刑に処せられた者、麻薬・大麻・あへんの中毒者、心身の障害により医師の業務を適正に行うことができない者、医事に関し犯罪または不正の行為のあった者、医師としての品位を損するような行為をした者などが該当するとされています。
今回の黒田氏の行為が「医師としての品位を損するような行為」に該当すると看做される可能性は否定できません。また、遺族の感情を害し、医療に対する社会的な信用を失墜させた点も医師免許の剥奪や停止の議論がなされる要因となっています。しかしながら、黒田氏の罪(不適切な投稿)に対して医師免許剥奪という極めて重い罰を科すことは、いささか罪と罰のバランスを欠いた処分であるように思えてなりません。
私自身は、黒田氏が遺体に対する敬意を著しく欠いた言動によって医療そのものや所属する法人の社会的信用を失墜させたことは「解雇」に相当するのではないかと思慮していました。しかしながら、既にネットを中心に厳しい非難を浴びるなどの社会的制裁を受けており、炎上した直後に投稿を削除したにもかかわらず、それがデジタルタトゥー(注10)としてネット上から完全に消去することはできず、「ご遺体の写真をSNSに投稿した不謹慎な医師」というレッテルが貼られてしまった黒田氏が、将来にわたって社会的制裁を受け続けることになる可能性をも考慮に入れると、「解雇」ではなく「解任」の処分が下されたことは、若干温情的な処分であるとの印象は拭えないものの、一概に著しく軽い処分であると否定することはできず、妥当な線であるようにも思えます。
ネット上で黒田氏による不適切投稿を非難する人々の中には、本記事でも取り上げた高須克弥院長や堀江貴文(ホリエモン)氏、西村博之(ひろゆき)氏やスマイリーキクチ氏、知念実希人氏をはじめとして、もともと世間によく知られた有名人で、自らの顔と名前を明らかにした上で発信している人々も少なくありません。
しかしながら、「自らが何者であるか」を明らかにして発信しているのは、あくまでも少数派です。黒田氏の不適切投稿を非難して憤りの声を上げたのは、その大多数が顔も名前も晒すこともない「アノニマス(匿名の)」な人々であり、ネット上には、無数の「アノニマス」な人々が「匿名」であることによって守られていることを前提にして行った過激な投稿で満ち溢れています。
SNSを行き交う短い文章や動画によって引き起こされる過度な感情移入と極端な正義感や抽象的な道徳倫理が短絡的に結びつき、「キャンセル・カルチャー」(注11)が発生しやすい扇情的なムードを作りあげられています。そして、そのような扇情的なムードの下で、無数の「アノニマス」な人々が、自分が直接的に何らかの被害を受けたという訳ではないにもかかわらず、「被害者がもし自分や自分にとって身近な人だったら絶対に許せない」という架空の感情移入を通じて怒りのスイッチを入れ、極端な正義感を振りかざしているのです。
黒田氏による不適切な投稿が「おぞましい」行為であることは衆目の一致するところであり、その事実を否定するつもりは毛頭ありません。しかしその一方で、黒田氏の不適切投稿を巡る「キャンセル・カルチャー」によって繰り広げられた光景もまた、それに負けず劣らず「おぞましい」ものであったと言えるのではないでしょうか。
何故、ご遺体の写真を投稿することができたのか-我が国に蔓延る「生命至上主義」
黒田氏が献体の写真をSNSにアップしたことに対して、私自身も含めて多くの人が忌避感や生理的嫌悪を抱くことになり、だからこそネットで炎上して騒動となってしまったのですが、それと同時に多くの人が「何故、彼女は献体の写真を晒すといった倫理にもとる行為をすることができるのだろうか」と訝しく思ったに違いありません。
黒田氏が躊躇うことなくご遺体の写真を撮影し、笑顔とともにSNSに投稿することができたのは、彼女にとって既に生命を失ったご遺体が単なる「モノ」でしかなく、ご遺体に敬意を払わなければならないといったことや「死者の尊厳」といった概念には全く思いが及ばなかったからであるように思えます。
仮に、今回彼女が参加した研修が、既に亡くなられているご遺体を対象とする「解剖」ではなく、例えば、重症患者の治療法を学ぶなどといった「生きている身体」「生きている人間」を対象とした内容であったのならば、たとえ患者の意識がなく、患者自身が撮影されたことを認識することがなかったのだとしても、彼女がその患者を撮影してSNSにアップすることなど「やってみよう」と思うことすらなかったのではないでしょうか。
撮影する対象としての「献体されたご遺体」と「意識がない重症患者」との間には「自らが撮影されていることを認識することができない」という点においては違いがなく、両者の大きな違いは「死んでいるのか」「生きているのか」ということになります。
たとえ被写体となる「生きている患者」が撮影されていることを認識することがなかったとしても「生きている」以上は尊重しなければならないということの裏返しで、生命を失った「モノ」でしかない「献体されたご遺体」は、既に「死んでいる」のだからぞんざいに扱っても構わないという意識で撮影することに躊躇いがなかったということや、前述した麻生氏の謝罪文の「死者の尊厳ももちろん大切ですが、今生きている人の命や安全も大切なんじゃないでしょうか」「どんな言い訳や神妙な態度をとったところでご遺体を損壊する事実に変わりありません」「故人に感謝しながらも、その知見を今後の患者さんに活かしたいと思います」との言葉の背景には、「死者の尊厳」よりも「いま生きている人の生命」を最優先すべきであるとの「生命至上主義」が横たわっているように思えます。
ベストセラー絵本『もうじきたべられるぼく』を批判した前回の記事で、我が国の「畜産の世界」において諸外国と比較してアニマルウェルフェアの実現に向けた取り組みが遅々として進まず、多くの家畜が目を覆わんばかりの悲惨で苛酷な境遇に置かれ続けていることの背景には「生命至上主義」があるのではないかと論じました(注12)。
また、『表現者クライテリオン』の藤井聡編集長は、医師の和田秀樹氏との対談(「生命至上主義という名の権威主義 人を物と見なす現代医学」)において、我が国の医療の世界に蔓延る「生命至上主義」について「生命の質なんてどうでもよくて、とにかく、生命の時間的長さっていう数値の上での長生きが良いことだ、逆にいうと、生命の時間が短くて死んでしまうのは悪いことだっていう、馬鹿みたいに単純かつ幼稚な死生観が、日本人の死生観になっている」として、日本の医療界に巣くうニヒリズムの実態を批判的に論じています(注13)。
私には、この度の騒動が、我が国では医療界のみならず、社会全体が「生命至上主義」に毒されており、ニヒリズムに覆い尽くされようとしているということの端的な顕れであるように思えてなりません。
我が国を覆い尽くそうとしているニヒリズムに対峙するには、「生命至上主義」のおぞましさを認識することから始めていかなければならないのではないでしょうか。
————————–
(注1) 【解説】東京美容外科医師の解剖実習投稿炎上と医師免許剥奪要求 – 医療SNSの倫理を考える – トレンドラボ
(注2) 高須克弥院長が激怒「馬鹿医者め!」献体写真公開めぐる謝罪釈明の麻生泰氏や女性外科医に – 芸能 : 日刊スポーツ
(注3) ドラマの医療監修も行う医師が不適切投稿「いざ新鮮なご遺体解剖しに」 騒動に発展し謝罪「倫理観が欠如」
(注4) 【お詫び】当院所属医師のSNSにおける不適切な投稿について
(注5) 46歳医師兼小説家「被害者のように本気で思っている、恐ろしい」献体公開で謝罪の院長をバッサリ – 芸能 : 日刊スポーツ
(注6) 【速報】日本美容外科学会(JSAPS)が声明を発表、献体のSNS投稿問題で、「医療従事者としての倫理観を著しく欠いたもの」、学会内外で啓発活動と管理体制の強化を図る | ヒフコNEWS
(注7) 沖縄院院長黒田あいみ医師の解任について
(注8) 献体を軽率にSNS投稿、女性の美容外科医に非難殺到、悪貨が良貨を駆逐するのか、過去には医師のモラルハザードは懲戒解雇も、美容医療の倫理観への厳しい視線を重く見よ【編集長コラム】 | ヒフコNEWS
(注9) 医師法 | e-Gov 法令検索
(注10) デジタルタトゥー – Wikipedia
(注11) 「キャンセル・カルチャー」とは、「道徳的に不謹慎な言動、容認されない言動を行なった」とみなされた個人が「社会正義」を理由に法律に基づかない形で、公の場から追放・抹消(キャンセル)されたりするSNSを中心とした運動などの文化的現象のことです。
(注12) 【藤原昌樹】『もうじきたべられるぼく』を読む ―現実とかけ離れた牧歌的な「物語」は子ども達に何をもたらすのかー | 表現者クライテリオン
(注13) [対談] 生命至上主義という名の権威主義――人を物と見なす現代医学/和田秀樹×藤井聡 表現者クライテリオン2021年9月号 | 表現者クライテリオン
(藤原昌樹)
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