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【浜崎洋介】微睡みのなかに眠り続ける「戦後日本」――8月15日に考える「もう一つの敗戦」

浜崎洋介

浜崎洋介 (文芸批評家)

 こんにちは、浜崎洋介です。
 8月15日ということもあり、今日のメルマガでは「戦争」のことについてでも書こうと思っていたのですが、先週の日曜日の新聞を見て、急遽、その内容を変えることにしました。

 というのも、ある新聞紙面で、安倍首相の総裁選出馬を伝える記事の隣に、日米間の新通商協議(FFR)についての記事が載っているのを見て、吹き出してしまったからです。その二つの記事が並んでいること自体が、私には、ほとんど冗談のように見えたのです。

 なるほど、政治家の発言にいちいち目くじらを立てていたのでは、こちらがもたないという想いもないわけではありません。が、それでも今回、全く危機感のない安倍首相の言葉を読んでしまうと、さすがにこちらの危機感が掻き立てられてしまいます。

 よりにもよって首相は、現在の政権から最も遠い吉田松陰の言葉――「志定まれば、気盛んなり」――を引用しながら、「憲法改正に取り組むべき時を迎えた」と言います。が、言葉は正確に使わなければならない。安倍首相が言う「憲法改正」とは、何のことはない、「加憲」のことを指しているだけです。とすれば、以前もこのメルマガ(「『言葉』の耐えられない軽さ」)で指摘しておいたように、それは単に「戦後レジームの完成」を言っているにしか過ぎません。

 その意味では、「加憲」を「憲法改正」と言ってみせること自体がほとんど「詐欺」ですが、さらにくわえて首相は、次のように言ったとも伝えられています。「助け合うことのできる日米同盟は絆を強くした。やるべきことを進めていくのが自民党の誇りだ」と。

 が、その「絆」とやらのお蔭で、現在、日本がアメリカから二国間自由貿易協定(FTA)の交渉を迫られながら、「自動車の輸入制限が嫌なら、農産品の更なる市場開放を!」と脅されているのだとしたらどうでしょうか――それが、日米新通商協議(FFR)の内実です。

 なるほど、政治の議論と、経済の議論を混同すべきではないという意見があることは知っています。しかし、私の「常識」は、それには頷かない。もし、私が「実利主義」的なアメリカ人(トランプ)なら、当然のことですが、政治、軍事同盟を含めた全てのカードを経済交渉のテーブルの上に置くはずで、それによって相手国から最大限の譲歩を引き出せれば、それで何の問題もありはしない。つまり、どうあがこうと「安全保障」を人質に取られている国が、経済交渉で成果を上げるなどということは考えられないのだということです。

 実際、思い出すまでもなく、「プラザ合意」(85年)から「日米構造協議」(89年)、そして「年次改革要望書」(93年)に至るまで、共産圏から自由主義圏を守るという「実利」を失って以降のアメリカの態度は、「F・F・R」(Free=自由、Fair=公正、Reciprocal=相互的)でも何でもなかったではありませんか。

 しかし、さすがに欧州は、そんなアメリカの変質に気が付きはじめています。欧州関税が不公正だと攻撃し(G7サミット/6月)、防衛負担費を巡ってNATO同盟国を攻撃し、その加盟国のモンテネグロが攻撃された場合の共同防衛義務にさえ疑問を呈す一方で(7月)、しかし、「法の支配や自由、民主主義といった普遍的価値」を共有していないはずのロシアに同調するトランプ大統領を見て、欧州ジャーナリズムの一部(ドイツ)は、「アメリカ抜きでの欧州の安全保障体制の再構築」を提言しはじめたと報道されています。

 むろん、これまでの欧米関係が一朝一夕に変わるなどということは、短期的には考えにくい。その意味では、より破壊的なことでも起こらない限り、当分の間は、ズルズルと状況に引きずられた議論が続くことになるでしょう(ちなみに、私はそうは考えませんが、政権が代わりさえすれば、再び欧米の「自由主義」は復活するだろうという向きもあります)。

 が、翻って日本国内に目を向けたとき、仮に議論だけでもいいから、「アメリカ抜きでの日本の安全保障体制の再構築」を考えてみようというジャーナリズム、あるいは、その気概を示そうという政治家が全く存在しないことには、改めて愕然としてしまいます。なるほど、それを口にした瞬間、「夢見がちで、非現実的な精神主義者」扱いされてしまうのが、今の日本であることくらいは知っています。

 しかし、長期的に考えた場合、どちらの方が本当に「非現実的」なのかを、私は問いたい。もっと言えば、日本は、モンテネグロとは違うのだと言い切るだけの根拠を、本当に持っているのでしょうか。

 つい先日も、日本に届く弾道ミサイルをそのままに、「米朝共同声明」は署名されましたが、それによってアメリカは、米韓合同軍事演習を一時的に取りやめ――つまり、極東から手を引きはじめながら、半島の非核化の費用は、なぜか米国と中国抜きで「韓国と日本が負担すること」を考えはじめていると言うではありませんか。

 それでもなお、安倍首相は、「加憲」(九条の維持)を言うつもりなのでしょうか。何かの一つ覚えのように、「日米同盟の強化」という呪文を繰り返すつもりなのでしょうか。

 しかし、ここまでくると、さすがに「政治」から遠い生活をしている私も、黒船来襲の時も、こういう状況だったのかもしれない……などと想像してしまうことがあります。どう考えても、このまま「太平の世」が続くはずもないにも関わらず、前例踏襲主義のなかで目を醒まそうとしない幕府への苛立ちを募らせていた下級武士たち孤独、あるいは、それによる焦燥と絶望というのは、果たしてこういうものだったのだろうか……などと考えてしまうのです。

 が、当時と今とでは、決定的に違うことが一つあります。それは、戦後の私たちが、一つの〈天=クライテリオン〉に支えられた「武士階級」をもっていないということです。明治150年に、「明治の精神」を称揚するのも、それを懐かしむのも否定はしません。が、今、最大の問題は、その「明治の精神」を、現代の私たちが誰一人として持ってはいないということではないでしょうか(ついでに言えば、西郷さん好きの私も、NHKの「西郷どん」だけは、その脚本と演出ぶりがあまりに「戦後的」すぎて、見ていられませんでした)。

 なるほど、長州の末裔がああなのだから、あとは推して測るべしと言うべきなのかもしれません……が、いずれにせよ、8月15日に将来の「もう一つの敗戦」について考えておくのは、自分自身の「正気」を保つためにも必要なことであるような気がします。

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