3月2日の小浜さんのメルマガで、人権・平等・反差別などの人工的概念を振りかざした「ポリコレ」といわれる政治的配慮のせいで、自然な男女関係が歪められてしまっているのではないかという問題が論じられていました。その後、ある読者の方(研究者・女性)から、以下のように要約できるご意見をいただきました。
(1) 女の思考はたしかに論点が乱れている傾向があるものの、訓練次第であり、そもそも女も一所懸命考えてはいるということを知ってほしい。
(2) 男もじつは、働かなくて良いなら働かない人が大半であって、働きたいか家に居たいかという点では、女と大して変わらないのではないか。
(3) 男女の間に様々な違いがあって同じ生き物でないのは確かだが、どちらが優れているということはなく、女が社会的に高い地位についてもよいのではないか。
(4) 男は上下関係を作るのが好きで、自分の属する派閥に必要以上の忠誠を尽くす傾向があるが、女にはそれが希薄であるためフラットで柔軟な組織を作りやすい。現代のビジネスにおいてはそういう女性的組織のほうがむしろ成果を挙げられるのではないか。
(なお、頂戴したのは非常に丁寧なメッセージであり、イデオロギー過剰なフェミニズムではなく、日常の実感を素朴に述べられたものであったことを申し添えておきます。)
横入りして恐縮なのですが、いくら論じても足りない面白い話題なので、私なりにいくつかの論点整理をしておきたいと思います。ただ、性差をめぐる実証的な研究をいちいち参照しているわけではありませんので、不適切な点についてはご指摘頂ければと思います。
まず、上記ご意見の(3)(4)に関わることなのですが、企業においても役所においても、単純な意味で「仕事がしっかりできる」人は女性の方が多いのではないでしょうか。学力調査の結果を見ても、世界的に、女性のほうが成績が良いとされるものは多いですね。
ただ私の印象では、物事の見通しが比較的立てやすい状況下で、根気強さやチームワークを生かすような仕事では女性のほうが活躍しやすいのに対して、将来の不確実性が高く、根拠の弱い「決断」をたびたび下さなければならないような状況下では、男性のほうが活躍しやすいように感じます。
別の言い方をすると、全員一致に近い合意を形成したり、明確な根拠に基づいて决定を下したりするのは、女性のほうが得意であるように思います。一方で、物事を決めるための十分な根拠がない中で、
「上手くいくかどうか分からないけどこの方針でいこう。責任は自分が取るから」
というような決断が求められる場面には、男性のほうが向いているという実感があります。
不確実な状況下での決断には一種の蛮勇が必要で、ある意味「馬鹿っぽさ」や「軽率さ」がないと前進できません。小さな子どもを見ても分かるように、男の子というのは女の子に比べて馬鹿っぽっいし、リスクを冒したがるし、ふざけるのが好きです。これは通常の勉強や仕事においてはマイナスなのですが、不確実性や決定不可能性に立ち向かう局面では、必要とされるマインドです。
男はどこか、将来の先行きが不透明であることを楽しんでしまうところがあって、要するに「非常事態」向きの生き物です。そして近代の産業社会においては、急な変化が絶えず作り出されていて、いわば非常事態が常態化しています。そういう変化の激しい社会では、男性的リーダーシップが求められる場面は多いとは言えるかも知れません。
また、近代産業社会というのは大規模な協業を必要とするシステムですので、多くの男性が好きな――私は嫌いですが――位階制的秩序(上下関係)も往々にして不可欠になりますね。
ただ私は、そうは言っても現代の社会には男性的組織が多すぎると思うので、女性的組織が増加すること自体に反対はしません。実際私の経験でも、男だけでは面白みのない形に煮詰まってしまう議論が、チームに女性が入ることや、女性が主導するチームに任せることによって好転する例は少なくないと感じます。
しかし、男性的組織と女性的組織は、それぞれの強みと弱みを認識した上で使い分けるべきなのであって、最近しばしば唱えられているような、「女性役員比率を30%にすべき」といった機械的な目標には、あまり意味がないと思います。
(長くなったので、続きは後日配信します。→コチラです)
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コメント
病棟勤務の看護師です。
正確な統計でなく、私の感覚的な印象ですが、看護師も救急性の高い部署ほど男性看護師の割合が増えます。また、「男らしい女性看護師」も増えるような気がします。
生物の例、ミジンコは通常はメスばかりですが、環境悪化すると、オスが生まれて、有性生殖し、より環境に適応した個体を生み出すそうです。
せっかく生物には雄雌あるのですから、その役割、意味がないとみなすのは、残念ですね。
ただ、WindowsパソコンでもMacintoshでも、アプリが同じなら同じ機能ですから、高次な知的活動の場合、身体差、人種差、性差は、たいしたことじゃないのかもしれません。
社会としてある程度時間軸で考えると、生物としての役割として、出産というイベントは本質的であり、これを前向きに考えない、なにか義務か差別の根源みたいに取り扱ったならば、それはその種の生命の自死になりそうです。
まずはそのあたり、幸せに語れる社会になることから、と自分は思います。
>「女性役員比率を30%にすべき」といった機械的な目標には、あまり意味がないと思います。
これには本当に同意します。
ガワだけ見せればええんやろ的なものを感じます。
その組織がそうする事によって良い方に向かうのならば否定はしませんが。
川端はん、男を解ってない ! (女性研究者も)
その男の過信が世の中狂わせるんよ。
人類の一番本質な問題は男の数の多さよ。すべてこれに尽きる。
左翼は教育、つまり進化論で解決しようとしてるんやけど、そもそも男の本質を間違って解釈してるから余計混乱を引き起こすし、右は右で恥ずかしげもなく男(己)を美化する恥ずかしい人達。そもそも川端氏が仰った様に男はバカで空想で生きています。しかし川端氏が仰った決断力は無い。無責任で己が逃げる用意(言い訳)が整った状況ならば決断はするが根本は男はすべてヘタレ。それに比べ女は腹の座った決断をします。残念ながら受け入れるしかない。しかし世の中には無駄など存在しない ! ならばこの数のボンクラ男(当然己を含め)をどうするか。私はここを論じるべきだと思うのです。
そこを解れば自然と安定した社会がつくれるのではないか。そしてその答えは歴史が証明しています。
しか~し ! 残念ながら男はすぐ図に乗るので自ら己の生きる道を壊してしまいますけどネw
だから男の保守が必要なんです !
(女性・63歳)です
この女性研究者の方の意見「(2) 男もじつは、働かなくて良いなら働かない人が大半であって、働きたいか家に居たいかという点では、女と大して変わらないのではないか」これはわたしは間違っていると思います。この方が「働く」と定義しているのは、社会に出て対価を得るということですが、家に居たい女性は、対価を得る必要がないからということだけではなく、夫や子どものため、あるいは、親のために自分の社会的人生よりも家庭人としているということを選んでいるわけであって、この方のいう「働き」はしていないかも知れないけれど、家族のために自分の「偉大なあるいはちっぽけな社会的人生」よりも「家族に尽くす人生」を選択して生きているのです。一方、男性は社会的人生のない生き方はできません。だから、「働く」必要がない、経済的余裕があったとしても、ただその時その時、食べたり飲んだり、その他「快」なことをしても、それでは何のために生きているか、生きるに値するのか考えずに生きることは生きているとは言えない、死んでいるのと同じなのです。つまりわたしは、男性には社会的人生の無い人生はないと考えるので、この女性研究者の(2)の考えには賛成できません。(3)も間違っていると思います。女性が社会的に高い地位に就くことが必ずしもいけないとは思いませんが、川端先生のおっしゃる「不確実性の中での決断力」に、またリスクを己に帰す「責任をともなう決断力」に欠ける点は否めないので、それを理解しないでやみくもに男女同比に社会的に高い地位に就けろなどというのは、大きな社会的損失となるおそれがあります。こう言うと女性が男性に比べて人間的に劣っているとするのかと言われるかも知れませんが、女性には男性がどうしても届かない点ではるかに勝っています。その一番は母性だとわたしは思います。