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【小浜逸郎】ポリティカル・コレクトネスという全体主義

小浜逸郎

小浜逸郎 (評論家/国士舘大学客員教授)

コメント : 3件

少し古い話ですが、これからも論議を呼びそうなので、ここで問題にしておきます。
2018年の12月に、滋賀県大津市で、住民票申請書に性別欄を記入しなくてもよいという決定がなされました。
LGBTというマイノリティに対する公共機関の配慮です。
その2か月前には、福岡県教育委員会が、高校の入学願書の性別欄をなくすという発表をしました。

ポリティカル・コレクトネスはいま世界の潮流のようですが、皆さんに違和感はありませんか。
筆者は、マイノリティに対する過剰な配慮ではないかという疑念が消えません。

初めの住民票申請書の場合、申請書に性別を記入しなくても、住民票の基本台帳には、性別が記載されているわけですから、受け取るコピーには性別が出てしまいます。

住民票が必要な場合とは、どんな場合でしょうか。
一般的には、行政や企業がそれを要求した時です。
具体的には、転居する時、不動産を契約する時、免許証を取る時、車を買う時、通帳などを作る時、携帯電話を契約する時、住宅ローン控除制度を受ける時、就職する時などがこれにあたります。
いずれも、提出する住民票そのものには、性別が書かれているわけです。

また、あとの高校受験の場合、これまで入学願書には本人が性別を記入していたわけですが、本人が性別を記入する必要から免れても、学校が提出する内申書には、性別が書かれます。

すると、大津市や福岡県教委などの配慮は、要するに、ただ単に、「記入したくない」という本人の感情に対する忖度だということになります。
性別を記入しなくても、彼または彼女がLGBTである事実には変わりません。

人間は、したくなくてもしなければならないことがいっぱいありますね。
人生はそんなことばかりと言っても過言ではありません。
性的マイノリティの心情がどんなに切実なものかは、筆者にはわかりませんが、世の中には、いわゆる「普通の人」で、もっと切実な悩みを抱えた人がたくさんいることはたしかでしょう。

では、なぜ性的マイノリティというカテゴリーに属する人に限って、これほどの配慮がなされるのか。
それは、「人権」や「差別」という概念に適合しやすいからでしょう。
普通の人の悩み苦しみは、どんなに深くても、なかなか「人権」や「差別」という概念に当てはまりにくい。
多数者と少数者という識別が難しいからです。
これに対して、障害者や人種なども、この識別がしやすいので、「人権」や「差別」という概念でとらえることが容易にできます。

そこで、この識別しやすさという特徴を狙って、左翼的な思想の持ち主が、これらを政治問題化するのですね。
お役所は、公正や平等をたてまえとしていますから、この種の政治的な批判に対して、きわめて脆弱な構造を持っています。
それで、糾弾されるとすぐそのまま言うことを聞いて、行政措置に踏み出すのです。
でも、本当に、LGBTの人たちの感情問題に、そこまで忖度する必要があるのでしょうか。

さて、この潮流がもっとエスカレートしていくと、住民票の基本台帳や、入学試験の内申書からも性別欄が抹消されるという事態に発展しかねません。
すると、住民票や入試資料を受け取る側にとって、現実的に困る事態が発生するのではないでしょうか。
たとえば、部屋を借りる人が男か女かわからない、免許証保持者が男か女かわからない、など、まずくないですか。

でも、何といっても、いちばん困るのは、企業が新入社員を採用する時ですね。
仕事の配分で男女差をなくそうという「平等」理想を掲げても、現実には、職業の性別適役というものがあります。
個人に職業選択の自由があるように、企業の側にも、その職種によって、採用男女割合を決定する自由があるはずです。
また、企業は、継続的集中的な戦力を必要としますから、妊娠した女性の長期休業や退職を本音では喜ばないでしょう。
こうした企業の論理は、もっともというべきです。

学校が入学生徒を採用する時も、男女の区別なしに試験を受けさせたら、女子のほうが成績がいいので、ふたを開けてみると、大部分が女子ばかりになってしまったなんてことにもなりかねません。

さらにさかのぼりますが、『新潮45』の2018年8月号に、杉田水脈氏の「『LGBT』支援の度が過ぎる」という論文が載り、大炎上を巻き起こしました。
「LGBTには生産性がない」という部分だけが切り取られて、左翼陣営から人権侵害だと大騒ぎされましたが、これは、子どもが作れないことを「生産性がない」と表現したまでです。
杉田論文の要旨は、少子化の解決に貢献しない彼らに格別の政治的・法的な支援や税金の投入をする必要があるのかと問題提起しているだけでした。
ただ、ここで、税金の投入というのが何を意味しているのかがあいまいです。

また、彼女は、LGBとTとを分けていて、T(トランスジェンダー)は性的な指向というより、むしろ「障害」として位置づけられるので、そのつらさを救うための制度的支援(社会福祉)はありえてもよいという意味のことを述べています。
これはごくまともな見解でしょう。

さらに、LGBT当事者にとってつらいのは社会的な差別よりも、親が理解してくれないことだと指摘しています。
親が自分の子どもは普通に結婚して子どもを産んでくれると信じているのに、それができないことを知ったらすごくショックを感じるだろう、だからなかなか告白できずに悩み続けてしまうというのです。
これは、筆者がLGBTの若い人に実際に聞いてみたところと一致しています。

つまり杉田論文は、エロス問題を政治的・制度的に解決することの困難さを指摘しているのです。
そしてそれが、LGBTという性的マイノリティを政治課題としてことさら前面に押し出す勢力に対する鋭い反論になっていたわけです。
筆者には、あるゲイの友人がいますが、その人は、ゲイであることを政治問題に結びつけることを嫌っていました。
そういう人のほうが多いかもしれません。
あるカテゴリーに属するとされた人々が、日常生活の中で、実際にどれくらいの差別を被っているのか、その実態を調べずに、LGBTだから差別されているはずだ、と決めつけるのはおかしなことです。

さて杉田論文にいきり立った左翼人権主義者たちは、自分たちのイデオロギーに反する考えを頭から否定しようとしました。否定しないと、同和問題と同じで、自分たちの反権力的な政治思想に利用できるネタがなくなってしまうからでしょう。

ただ、杉田論文には、荒っぽいところもありました。
たとえば、何でも多様性を認めて、結婚相手にだれを選んでもいいとなったら、ペットや機械と結婚させろなどという要求さえ出てくる。そうなると常識や社会秩序は崩壊してしまう。LGBTを取り上げる報道はそうした傾向を助長しかねないと述べているくだりです。

実際にそういう要求をする人がいるというのは事実でしょう。
しかし、それはごく特異例で、あったとしても、そんな要求が認められるはずがありません。
法制度というのは、人間のさまざまな欲望をどこまで容認し、どこまで規制するかを決めるところに意義があります。
そして、エロス欲望に関する限り、それはあくまで人間どうしの関係のあり方にかかわっています。
自分はネコちゃんと夫婦ですと思うのは自由ですが、社会がそれを制度的に公認するかどうかとはまったく別問題です。

それはともかく、杉田氏が、「何でも多様性がいい」「何でも自由がいい」という左翼リベラルのイデオロギーを攻撃する気持ちの中には、「変えよう、壊そう」とする勢力に対する健全な常識感覚が読み取れます。
「自由」などと理想を掲げてみても、実際にはこの世は困難と制約だらけです。
そのただ中をかいくぐることによってしか、自由は実感できません。
そしてそれはこれからも変わらないでしょう。

最近、こんなことがありました。
税務署に税務申告に行ったとき、裏に20台以上止まれる駐車場があり、半分ほどが埋まっていました。
そこに車を入れようとしたら、工事現場用のフェンスでふさいであり、係員が出てきて、「ここは身障者用です」と言います。
私は、「あの駐車している車の主はみんな身障者の方なんですか」と聞いてみました。
すると黙ってフェンスを取り外してくれました。
一応断らなくてはならないお役目らしい。
ご苦労なことだと思いました。
建物の表側には数台しか止める場所がなく、しかも人で混雑しているので、駐車禁止。
「あなたに言ってもしょうがないけど、これってバカらしいと思いませんか?」と柔らかく聞いてみました。
係員は面倒くさそうに、「そういうことは上のほうの人に言ってください」と、予想通りの答えを返してきました。
「上のほうの人」の愚かな判断のために、せっかくの広い駐車場を、ほとんどいるはずのない「身障者」専用にしています。
ほんの一部用意しておけば済むことなのに。
しかも「ここはすべて身障者用」と命じられた係員の人は、いちいち断ってはフェンスを開けたり閉めたりしなくてはなりません。
「社会的弱者にウチはこんなに配慮しています」という表看板のために、係員の人は、不条理と知りながら、毎日空しい仕事を続けているのです。
この人のほうがよっぽど弱者だ、と思いました。

何ごともバランスが大事です。
平等原理主義というポリティカル・コレクトネスに固執することが、普通の庶民を苦しめていないかどうか、それが新たな全体主義を生んでいないかどうか、わたしたちは、この世界の潮流に対して、注意の目を光らせることにしましょう。

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コメント

  1. サント より:

    なんというか、酷い記事でびっくりです。藤井先生好きで応援してただけにショックでした。

    AもBもどちらも問題なのに、Aの方がBよりも深刻だからBは問題ではない、という比較すべきではないものを比較したり、これは選択的夫婦別姓とも共通しますが、たとえ同性婚が可決したところでそれを望まない人はしなければいいだけの話で、その人の生活のなにが変わるわけでもありません。それなのにその変わらない、困らない人の権利を基準に考えたりと、突っ込んだらきりがない記事です。こんな文章を頭のいい藤井先生が認めて載せたのか、、と思うと残念な気持ちです。それだけ根の深い問題ということなのでしょうか。
    結局宗教と同じで、男女の役割は違う、子供を残すことが人間の最大の生きる意味、などもう理屈では説明できない信条の問題になっているのではないでしょうか。ただ、保守の方たちに言いたいのは選択的、ということを否定しないでいただきたい、ということだけです。

  2. 拓三 より:

    私は杉田氏の発言は女性として当たり前だと思っております。そして応援します。
    ただし、LGBTの権利とは別としてであります。

    そもそもこの問題の根本は糞ヘタレ男達の思考回路にあります。
    私はフェニミズが大嫌いです。しかし気持ちは分かります。

    本来、女は人間的にも生物的にもすべてにおいて男よりも優れています。そして女は一番大切で過酷な労働、つまり子孫(未来)を作る事に専念するため他の事を男に任した訳です。しかしながらこのバカ男、女の真似事をしているにも拘わらず、己が作り上げたと勘違いし調子に乗り、あろうことか女を支配しはじめた訳です。そらあ、女は黙ってはおれません ! 「そんならそっちの仕事もやったろか ?」と女がキレるのも当然 ! それを受けヘタレ男は「ヤバイ、あっ ! 戦争しよ。戦争したら男の価値あがる !」と…..。案外これが歴史かもw

    で、現在、ヘタレ男は戦争の道を選ぼうとしてるわけ。その先駆けがネオリペ! ネオリペ思考は男の価値を高める社会。男にあるのは力だけでありネオリペとは力が物を言う社会です。それを誤魔化す為「自由、平等」を付け足してるだけの御飾り。女がその言葉に弱いのを利用してるだけ。

    女性の皆様 ! よく考えて下さい。自由、平等の後に何が付いてますか ?
    「競争」でしょ。競争を言い換えれば「勝敗」です。「勝敗」は力で決まります ! 
    勝敗とは強弱。つまり強者弱者の論理構成をしているかぎり男に支配されているんですよ。

    男に支配されない為には強弱の論理ではなく何が「大切か」で論理構成を作らなければ何時までもバカ男に支配されますよ ! そして忘れてはならないのは「この世に無駄など存在しない」を前提とすることで御座います。

    • はさ より:

      自由の後競走が始まって強者と弱者の差が開くのはわかるけど、なぜ男に支配されることになるの?女は男にあらゆる面で優れているんじゃなかったの?
      あなたのいう力とは物理的な力のことですか?現実世界の勝敗が物理的な力で決まるとは思いません。だって殴り合いの喧嘩をして出世を決めたりする訳では無いでしょ。あなたのいう力が知能などの物理的でない力だとしたらなぜ女が負けるのか分かりません。女がは男より優れているんじゃなかったの?力がどんな意味だったとしてもあなたの言説は間違っています。被害者意識をこじらせないようにしましょう。

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