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【浜崎洋介】「悪」と「嘘」との心理学――片山さつき氏の発言をめぐって

From 浜崎洋介(文芸批評家) 

 こんにちは、浜崎洋介です。

 以前のメルマガ「人間の『成熟』について―イマギナチオ・老害・大衆人」(https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20200107/)のなかで、人間の「成熟」を阻害している〈思い込み=イマギナチオ〉について論じましたが、最近、その「思い込み」が、ナルシシズムを伴った「嘘」にまで肥大化し、「邪悪なもの」にまで達した例を見ました。既に、ご覧になった方も多いかと思いますが、「羽鳥慎一のモーニングショー」のなかで、「消費増税」の悪影響をめぐって藤井編集長と討論した片山さつき議員(自民党税制調査会幹事)の発言です。

 議論の詳細については、次の動画(https://www.youtube.com/watch?v=_-AluaqShqw)を見て頂ければと思いますが、片山さつき議員は、消費増税後の景気の落ち込みを示すデータを見ながら、それを、なんと「台風」と「少子化」のせいに帰したのでした。

 しかし、「台風」が毎年くること、「少子化」が今になって突然問題化したわけではないことくらいは、わざわざデータを見せられなくても、誰でも知っています。

 要するに、国民を舐めている(国民を騙せると思っている)わけですが、しかし、ここで議論したいのは片山議員の主張の是非ではありません(もし、討論内容ついて興味があれば、藤井編集長の「消費『減』税は是か非か?~片山さつき議員とのTV討論報告~」(https://38news.jp/economy/15287)をご参照ください)。私が、心底気持ち悪くなったのは、討論後にツイートされた、片山さつき議員の次の言葉に対してでした。

『先ほど帰宅して、ビデオ見て「きちんとマレーシアまでデータを揃えておいて良かった」と思いました!慶応経済・ハーバード卒・MBAの夫が一緒に見ていて「京大って昔から本格的な近経の学者いないんだよね、元来マル経だったから」とのたもうておりました!』   
https://twitter.com/katayama_s/status/1220356539128483840?s=21

 この片山氏の発言で見落とすべきではないのは、次の3点です。

 一つは、自らの自己満足的な〈思い込み=虚構〉を守るために、TV討論の内容(批判)を完全に無視していること(Ⅰ・知的自己閉塞とナルシシズム)。
 二つめは、その発言内容とは全く関係のない「権威」――慶応経済・ハーバード卒・MBAの夫――を引き合いに出しながら身元保証していること(Ⅱ・現実逃避と他者依存)。
 三つめは、以上の二点を利用しながら、「京大」「マル経」(他者)を貶めながら、その反動を利用して、自らの「力」を誇示しようとしていることです(Ⅲ・過剰な支配欲求)。

 しかし、それなら、片山氏の態度は、まさしく「悪」そのものだと言うべきではないでしょうか。かつて、社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、これらⅠ、Ⅱ、Ⅲの態度を、それぞれ「ナルシシズム」、「共生・近親相姦的固着」、「ネクロフィリア(死への愛)」と言い換えながら、それらの三つの性向が収束していく場所に「悪」を見てとって次のように書いていました。

「極端なかたちのネクロフィリア、ナルシシズム、近親相姦的共生が混ざり合うと、私が〝衰退のシンドローム〟と呼んだものになる。このシンドロームを示す人は真に悪であり、生と成長に背を向け、死と不能を愛好している。この〝衰退のシンドローム〟を示す具体例がヒトラーである。(中略)彼は死と破壊に心の底から惹かれていた。非常にナルシシスティックな人物で、彼にとって唯一の現実は自分の願望と思考だけだった。そして彼はきわめて濃密な親近相姦的固着を持っていた。」『悪について』渡会圭子訳

 しかし、では、なぜ「ネクロフィリア」と「ナルシシズム」と「近親相姦的共生」は「真に悪」なのか。それは、この三つの性格が、ともに〈他者を信頼する心=生命の能動性〉に対する破壊願望、つまり〈生に対する憎しみ〉に基づいているからです。

 たとえば、「ネクロフィリア(死への愛)」とは、他者に対する過剰な「支配欲」、「権力への意志」(ニーチェ)のことだと言ってもいい。流れ生成する「生」は常に不確実性と共にありますが、それを支配するには――つまり所有するには――、まず、「生」を「死」に変える必要がある。したがって、「ネクロフィリア」においては、友情関係(生成する愛)は蒸発し、「殺す能力を持つ者」(支配)と「持たない者」(被支配)との上下関係――「殺しの願望、力の崇拝、死や汚物やサディズムへの興味、〝秩序〟によって有機物を無機物に変えようとする願望」(マウントへの意志)――が前景化してくることになります。

 そして、この「ネクロフィリア」を助けるのが悪性の「ナルシシズム」です。そもそも、「生」を「死」として扱うこと自体が不可能であり、かつ異常な欲望なのですが、だから、「ネクロフィリア」(支配欲)に憑かれた人々は、外の現実(他者)を無視し、自らの「思い込み」の中に耽る「ナルシシズム」に向かいます。しかし、そうなれば、ますます彼/彼女たちは、自分が失敗した事実や、他人からの正当な批判を受け入れることが難しくなり、その結果として、合理的判断からも遠ざかっていかざるを得ない。そして、その後ろめたさから、ますます他者否定の欲望を募らせていくことになる彼/彼女たちは、ついに、自分の「妄想」に合わせて現実を変形させることを夢見はじめるのです。

 そこで、さらに、この「ナルシシズム」を支えるのが「近親相姦的共生」です。要するに、「近親」とは、自らの「ナルシシズム」(妄想)に身元保証を与えてくれる都合のいい大人のことですが(幼児の場合は母親)、そこで呼び出されてくるのが「偉大なる指導者」の像(偉大なる安倍内閣?)であり、また、その社会的「権威」だということになります。その「権威」――精神分析学的に言えば、頭脳、名声、富、学歴、ペニス――との自己同一化によって、彼/彼女たちは、他人より優れている自己を演出するというわけです。

 こうして、「ネクロフィリア」と「ナルシシズム」と「近親相姦的共生」が交わる点に、「最大の悪」が現れることになりますが、しかし、ここで注意すべきなのは、それらが、単に道徳的に――つまり、外在的な規範に基づいて――「悪」と呼ばれているのではなく、私たち自身の「生」を裏切っているがゆえにこそ、「悪」と呼ばれているという点です。

 事実、誰にも「生」を静止させることはできないのだし、また「他者」を解消することもできません。そして、その「他者」との関係を引き受けられるのは、「偉大なる権威」などではなく、ほかならぬ「この私」の生なのです。だから、それらの〈生の現実〉を裏切った議論は、必然的に「嘘」に辿り着くほかはない。そして、それが「支配のための虚構」にまで肥大化したとき、私たちの「生」(能動性)は窒息していかざるをえないのです。

 ただし、そこで苦しんでいるのは、「嘘」をつかれた側だけではありません。おそらく、最も恐怖に慄いているのは、「嘘」にまみれた「生」そのものの方なのです。

「ナルシシスティックな人は世界と関わらず、その結果、孤独でありおびえていることを頭に入れておく必要がある。この孤独と恐怖の感覚を埋め合わせるのが、ナルシシスティックな自己肥大化である。彼が世界なら、外部には彼を脅かす世界はない。彼がすべてなら、彼は孤独ではない。したがってナルシシズムが傷つけられたとき、彼は自らの全存在が脅かされていると感じる。恐怖から身を守ってくれるはずの自己肥大化が脅かされたとき、その恐怖が噴出し、激しい怒りがもたらされることになる。その怒りがいっそう激しいものとなるのは、適切な行動によって恐怖を和らげることができないためである。批判者、あるいは自分自身を破壊する以外に、ナルシシスティックな平穏への脅威から救われるすべはない」、エーリッヒ・フロム、前掲書

 果たして、ここに描かれている人格類型は、今、世界中で見られるものではないでしょうか。「オルタナティブ・ファクト」を唱えるアメリカのトランプ大統領、歴史を必死で塗り替えようとする韓国の文在寅大統領、平然と「嘘」をつき続ける日本の安倍内閣と、それに連なる「自発的隷従者」の群れ(片山さつき議員に象徴される自民党議員と官僚)、社会の分断と格差に開き直るエリートたち、そして、議論を封殺する罵詈雑言や、SNSの仮面を被りながらの誹謗中傷を許し、他者破壊へと向かっていくヘイト行為。

 なるほど、人は誰でも「嘘」をつかざるを得ない局面(死んだ仮面を必要とする局面)があることくらいは知っています。しかし、だからこそ、その〈嘘=仮面〉の危険をも知る「成熟した大人」は、その「嘘」の克服方法(生きた素面の蘇らせ方)をも知っているのではなかったか。自らのうちに「ネクロフィリア(死への愛)」と「ナルシシズム」と「近親相姦的共生」に対する欲望とその危険を感じているからこそ、その克服に向けての自己鍛錬――自らを「孤独と恐怖の感覚」から救い出し、「生」のこわばりを揉みほぐし、「生」をその本質(愛)に近づけていく「善」の努力――が現れるのではなかったか。

 フロムは言います、「本当に、私たちは善を選ぶために自覚しなければならない――しかし、他人の嘆きに、他人のあたたかい視線に、鳥の歌に、芝の青さに心を動かされる力を失えば、どんな自覚があっても役には立たないだろう」と。

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コメント

  1. 明紘 より:

    遅くなりましたが、先日の老害についてのご返信読ませていただきました。
    大変示唆に富む文章で、自分自身も反省を促されました。
    さて、今回は「死を愛する」ことについてですが、これは芸術の世界においても悪なのでしょうか?
    例えば、アメリカのロックバンドthe doorsの「the end」という楽曲は、ボーカルのジムモリソンの死への憧憬、強烈な自己嫌悪=ナルシシズムに彩られていますが、
    同時に、人々の心を揺り動かす「魔術的な崇高さ」にも満ちていると思われます。
    最近は、こういった「アブナイ曲」はめっきり無くなったように思われますが(笑)
    死を愛すること、死への憧憬は世間では不徳とされていますが、やはり強烈なエネルギーを生むことも事実だと思われます。
    音楽に限らず、文学、絵画、映画などの芸術の世界においても「死を愛する」ことは低俗なことなのでしょうか?

  2. 斑存・不苦労 より:

    >慶応経済・ハーバード卒・MBAの夫が一緒に

     夫って、昔サバイバルナイフを持って国際政治学者のテロップで深夜バラエティ番組に出ていた舛添氏じゃなかったんでしょうか。
    さつきなんて名前、となりのトトロの五月ちゃんが可哀想です。

    思いましたけど、ダブルス(+虎之助の意)片山議員氏始めタックル(で西田議員とやり合った)平議員や饅頭(お食事券疑惑とマンネリサプライ理論の)甘利議員や(パソナークロー南部とお友達の)前原議員等はパソナークロー団・ミスターTの批判を一切したことがありません。彼奴等は頭の中で考える能力はスピード感をもって無いのです。名声、権力にひれ伏していることに自分でも気づけない頭でしかないのです。決して可哀想な人達ではないのです。糞喰らえっ!ってな連中なのです。

     無茶苦茶な話にしか読まれないと思うので切り捨て歓迎します。失礼しました。

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