いよいよ「平成」最後の年が終わろうとしています。が、改めて振り返ってみると、「平成」という時代は、「国の内外、天地ともに平和が達成される」という願いとは反対に、世界的にも国内的にも、つくづく混乱と混迷の時代だったという想いを禁じ得ません。
昨日の柴山さんのメルマガにもあったように、来年は、今年以上の波乱が予測されるとのことでしたが、まさにその直後に、東京株式市場は1000円値を下げ、二万円を割ったというニュースが流れてきました。『別冊クライテリオン・消費増税を凍結せよ』でも指摘していた米中貿易摩擦とFRBの利上げの影響が効いてきたということでしょうか。
それなら、やはり、現状を正確に見定めておくためにも、そして、新しい年と、新しい元号を迎えるためにも、今一度、この混乱と混迷の「平成時代」を振り返っておく必要があるのかもしれません。果たして、私たちにとって「平成」とはどのような時代だったのか。
「昭和」という時代が、良くも悪しくも「みんな一緒」に成長していった時代だったとすれば、「平成」という時代は、「昭和」が積み上げてきた遺産を食い尽くし、物質的にも精神的にも「みんなバラバラ」になっていった時代だったと言うことができるでしょう。
では、私たちを「バラバラ」にしていったものの正体とは何なのか。それは、言うまでもなく、1980年代に顔を現し始めた「ネオ・リベラリズム」(新自由主義イデオロギー)であり、また、その現象形態としての「グローバル資本主義」にほかなりません。
じじつ、「平成」は、東西冷戦の終結(1989年)と伴に始まっていました。つまり、「東側の社会主義圏」という一つの〈限定=枷〉を失くした「西側の資本主義圏」が、無際限に膨張しはじめたその瞬間に、「平成」という時代は始まっていたのだということです。
それは、政治的には、「人権」と「民主主義」を旗印にしたアメリカの一極世界支配(湾岸戦争とイラク戦争)を加速させていったのと同時に、経済的には、市場拡大に伴う多国籍企業と金融資本主義の世界支配を完成させていきました。それは確かに、BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)などの新興地域(と、それに投資する多国籍企業と世界的投資資本)の台頭を後押していきましたが、しかし、それとは逆に「国家の支え」(規制)を失った先進諸国の「国民」(中間層)の没落を一層加速させていったのでした。
その矛盾の現われが、2016年に起こったブレグジット(イギリスのEU離脱)であり、「米国ファースト」を唱えるトランプ現象であり、また、今、現在、フランスで起こっている「イエローベスト運動」であることは言うまでもないでしょう。
しかし、この混乱は、国際情勢に限った話ではありません。日本国内に目を向けても、似たり寄ったりの惨状が目に入ってきます(経済成長がないぶん、より酷いとも言えますが)。
たとえば、「平成」は、ほとんど「バブルの崩壊」(平成3年=1991年)と共に始まっていますが、そのなかで何が語られていったのかと言えば、まず、行政の効率化を掲げた「行財政改革」(公共事業費のカット)であり、また、政権交代の可能性を掲げた「政治改革」(小選挙区制の導入)であり、そして、グローバルスタンダードを掲げた「日本的経営の改革」(終身雇用・年功序列の廃止)でした。そして、この「改革熱」が、後の「小さな政府」と「ネオリベ政策」を旨とした、「小泉構造改革」を用意し、引いては「民主党」による政権交代までをも用意していったことは既に御承知の通りでしょう。
しかし、その一方で、時代が明るくなることはありませんでした。平成7年(1995)、住専問題(住宅金融専門会社の破綻問題)に際して、政府は公的資金投入を見送りましたが、今から考えれば、それは国家が市場から手を引きだしたことの前触れでした。その後の平成9年(1997)には、金融ビックバン(護送船団方式の終り――2002年以降の銀行・証券・保険の兼業化に向けた助走)が始まり、それと同時に北海道拓殖銀行と山一證券が破綻し、翌平成10年(1998)には、日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が破綻して、この年に、自殺者が初めて3万人を超えることになります。
そして、平成13年(2001)の小泉政権の登場と共に、「郵政民営化」や「労働者派遣法改正」など、「優勝劣敗」の新自由主義路線が一層加速していったのでした。
なるほど、同情、憐憫、同胞愛などの「旧い価値観」から解き放たれた一部の「サイコパス」たちにとっては、「能力主義」による「自由競争社会」ほど、心地いいものもなかったのかもしれません。が、その感覚は、多くの一般国民のものではありませんでした。
実際、「繋がり」や「支え」を失ってバラバラになった個人が、意欲的に「競争」に打って出ていったのかと言えば、むしろ事態は逆でした。「支え」を失った多くの人々は、悪い意味での「守り」に入らざるを得ず、ますます「いい大学」、「いい会社」、「コンプライアンス」など、画一的な社会的観念(外在的意味)に囚われていくことになります。
では、その一方で、社会的観念にさえ見放され、ますます不安と孤立を深めていった人々はどうなっていったのか。おそらく、その一つの帰結が、不気味な「平成犯罪史」であり、もう一つの帰結が、卑屈な「特定集団への依存」という平成的現象でしょう。
たとえば、他者との繋がりを失った果ての「現実感覚の喪失」の例として、私たちは、宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件(平成元年=1989年)から、酒鬼薔薇聖徒による神戸連続児童殺傷事件(平成9年=1997年)、また、光市母子殺害事件(平成11年=1999年)や、佐賀バスジャック事件(平成12年=2000年)、池田小事件(平成13年=2001年)や、秋葉原通り魔事件(平成20年=2008年)、そして、相模原障害者施設殺傷事件(平成28年=2016年)や、座間の9遺体事件(平成29年=2017年)などのグロテスクとしか言いようのない「平成犯罪史」の系譜を目にすることになったのでした。
また、その「現実感覚の喪失」を埋め合わせるようにして現れてきたのが、オウム真理教を含めた新新興宗教であり、また、その後のネトウヨ現象、在特会現象、若者のイスラム国への憧れ、SEALs現象、あるいは、ツイッターやインスタグラムなどのネット依存(SNSアディクション)などの現象だったと言うことができるでしょう。
果たして、ここまで荒廃した時代のなかで、私たちは、この不安と孤立に充ちた「みんなバラバラの世界」を終わらせることができるのでしょうか。なるほど、今のところ、世界的にも、国内的にも、この「分断の時代」が終わる気配はありません。
しかし、その一方で、「人間」という他者ぬきでは生きられない動物が、この分断と混乱の時代、バラバラの時代に、長く耐えられるはずもありません。とすれば、やはり、しばらくは息をひそめながら、やがて来る時代に備えておく必要があるのでしょう。
かつて、宗教戦争とペストで混乱する16世紀ヨーロッパに生れたモンテーニュは、しかし、その自らの「運命」を呪うのではなく、感謝さえしながら、次のように書いていました。
「われわれが今30年来そのなかにいるこのような混乱の状態にあっては、あらゆるフランス人は、個人個人としてであれ、全体としてであれ、毎時間ごとに自分の運命が完全にひっくり返るきわどいところに立っているのを見ている。それだけになおさら、自分の心により強い、力にみちた備えを仕込んでおかなければならない。われわれを、柔弱でも無力でも無為でもない時代に生きるようにさせてくれた運命に感謝しようではないか。」『エセー』第3巻第12章、「顔つきについて」荒木昭太郎訳
どうぞ良い年をお迎え下さい。来年、またお会いしましょう!
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