今回は、『表現者クライテリオン』で毎号掲載しているコラム【鳥兜】を公開します。
2021年11月号の1つ目のタイトルは「〈いのち〉を失くした「大学」に送る」。
『表現者クライテリオン』では、毎号の特集のほかに、様々な連載も掲載しています。
興味がありましたら、ぜひ本誌を手に取ってみてください。
以下内容です。
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若い頃、朱子学の言う「敬」の教え(感情を抑える精神修養)に従って、周囲との交わりを絶ち、一人部屋に閉じこもって学問に励んだという伊藤仁斎は、しかし、そのことによって一種の神経症に見舞われ、ようやくその苦境から脱したのは三十六歳のことだったという。
その後、仁斎は、同志会という対面形式のゼミナールによって『論語』を読み直し、朱子学の枠組みでは孔子や孟子の「生きた言葉」が解釈できないことに気づき、そこから古義学の道を歩きはじめることになるのだった。
しかし、それなら、とっくの昔に動きはじめている社会(小・中・高校を含める)を前に、しかも、ワクチン接種が進んでいる現在においてもなおリモート授業にご執心の大学は、自分の殻に閉じこもっていた頃の仁斎と同じく、「学問」を「神経症になる道」か何かだと勘違いしているのだろうか。
今更コロナの毒性について云々する気はないが、ワクチン以前の状況でさえ平均死亡年齢八十歳前後のウィルスが、大学を閉め続ける大義名分になるとは到底思えない。
かつて、小林秀雄は「考えるという事」というエッセイの中で、「かんがふ」の語源を「かむかふ」、つまり、「か」という強調音に「身(む)」+「交う」と解していたが(その語釈は本居宣長によるものらしい)、
それに対して小林は、次のように注釈をつけていた。
すなわち、「考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わる事だ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験を言う」のだと。
しかし、だとするなら、あの仁斎の恢復を促したゼミナールがそうであったように、身を以て他者と交わり、その人=物と「密」になることは、学問においてこそ不可欠な「道」だと言うべきではないのか。
目の前の人に身を開き、無数の言語的実践に身を晒し、自分の知らぬ自分を見出し、それに驚き、その驚いている自分自身を自覚すること。
人は、「型」を破るためにも「型」を必要とするように、自分自身の知性のあり方を見出すためにも、他者との交わりを必要とする。
「学」という字が、屋根の下に暮らす子供が、大人に真似んでいる=交わっている姿を象って作られていたように、学問とは、単に「物知りになる道」ではない。
それは、人が人と出会い、物と交わり、自らの生き方を自覚していく「道」でもあるのだ。
したがって、その「道」を見失ってしまえば、物を知るという営みは、単なる孤独な「権力への意志」(ニーチェ)へと変貌していってしまうだろう。
人が人と交わることを喜ぶことのできない心の空白(ニヒリズム)を、世界を俯瞰できる知的優越感によって埋め合わせること。
エーリッヒ・フロムは、そのニヒリスティックな知性のあり方を「ネクロフィリア」(死体愛好)と表現していたが、まさしく、その「生への憎しみ」によって知性は、生活常識から浮き上がり、記号化し、一つの標語=常套句のなかへと囲い込まれていってしまうのである。
イタリアの哲学者であるジョルジョ・アガンベンは、
「講義をオンラインでのみおこなうことを受け容れる教授は、〔…〕一九三一年にファシズム体制への忠誠を誓った大学教員たちと完璧に等価である」(『私たちはどこにいるのか?』高桑和巳訳)
と言い放ったが、アガンベンの言葉の激しさは、まさしく、このネクロフィラスな知性に向けられたものだと言っていいだろう。
とすれば、それが分からぬ二十一世紀の大学に、もはや〈いのち〉はないと言うべきか。
(『表現者クライテリオン』2021年11月号より)
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