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[創刊5周年特別企画]本誌編集委員と顧問に聞く、印象に残っている特集(号)

啓文社(編集用)

啓文社(編集用)

こんにちは。表現者クライテリオン編集部です。

今回は、7月1日に創刊5周年を記念して行われたシンポジウム『我らは次の5年をかく進む〜故郷と伝統を見つめたクライテリオンが指し示す道』開催に際し、事前に行われたアンケートを特別公開します。

事前アンケートの質問は、

質問1:これまでの『表現者クライテリオン』の特集の中で特に印象に残っているもの、思い出深いものはなんですか。

質問2:その理由をお教えください。

の2つ。

編集長・藤井聡先生、編集委員・柴山桂太先生、浜崎洋介先生、川端祐一郎先生、顧問・富岡幸一郎先生、の5名からそれぞれご回答いただきました。

当日時間があればこのアンケートについてもお話しいただく予定でしたが、議論が白熱したためほとんど触れられませんでした。

各先生の5年を振り返っての思いもお感じいただけるものと思います。
ぜひご一読の上、皆様も印象に残っている特集がございましたら、ぜひコメント欄でお教えください。

(表現者クライテリオン編集部)

※8/1 本日は藤井聡編集長と浜崎洋介先生のご回答を公開します。他の先生方のご回答は明日(または明後日)公開予定。
※8/2 柴山先生、川端先生、富岡幸一郎先生のご回答を公開しました。


編集長・藤井聡 先生のご回答

質問1:これまでの『表現者クライテリオン』の特集の中で特に印象に残っているもの、思い出深いものはなんですか。

 

コロナが導く大転換 ~感染症の文明論~

 

質問2:その理由をお教えください。

 この五年間、様々な問題が我が国で生じましたが、その中でもとりわけ大きな問題が「コロナ禍」問題でした。

 この問題の本質は、「公益の最大化を果たすコロナ禍に対する公的政策」が全く行われず、ひたすら特定の個人・集団の「私益」の最大化が行政およびメディア報道において行われ、それを通して公益が大きく毀損してしまうというものでした。

 その特定個人・集団とは、コロナを危険なものとして喧伝することで注目を浴びる尾身・西浦らの一部の感染症医師、コロナ診療で収益を拡大できる医師会、コロナを煽る報道を繰り返すことで視聴率・発行部数を稼ぐことができるマスメディア、国民世論に迎合する政治・行政を繰り返す政治家・行政官達です。

 本誌では、コロナ禍が始まった直後に、多くの医師に登壇いただきつつ、こうしたコロナ禍対策についての問題を指摘し、「公益の最大化を果たすコロナ禍に対する公的政策」への政策展開を促すことを企図した特集として組んだのが、この特集でした。

 ほぼ全てのメディアや行政、世論が「コロナ感染症被害の最小化」のみを目指していた全体主義的空気が濃密に存在する中、コロナ感染症被害でなく、それを含めた公的被害の最小化(=「公益」の最大化)を果たさんとするこの特集は、あくまでも「危機と対峙する」ことを基本とする本誌の編集方針のクライテリオン=基準を明確化するものと位置づけることができるものと思います。

 


編集委員・浜崎洋介 先生のご回答

質問1:これまでの『表現者クライテリオン』の特集の中で特に印象に残っているもの、思い出深いものはなんですか。

 

①保守とクライテリオン

②安倍晋三 この空虚な器  

③「コロナ」が導く大転換  

④コロナ疲れの正体  

⑤皇室論   

 

質問2:その理由をお教えください。

①―当時、まだ30代の「若手」の自分が、編集長ではないとはいえ、西部邁の跡を継いで一体何ができるのか?という緊張感が強烈にあったことを覚えています。

 と同時に、これは今やネタですがw、当時『群像』と『すばる』という二つの文芸誌から連載依頼があったのですが、それを断って(「クライテリオンが落ち着くまで待って欲しい」と言って)、踏み出したという点も、今から考えれば、自分の人生の分岐点だったなと思います。当時は異様に貧乏だったので、原稿料の問題もありましたが(笑)、さらに「文芸批評家」を名乗りながら、文芸誌を棄てていいのか…、という忸怩たる思いもありました。が、藤井先生や、柴山さんや、川端さんといる方が「楽しい」という気持ちに素直に従った結果でした。

 もちろん、後悔はありません。それどころか、いい出会いと刺激を多く頂いたと心から感謝しています。

 

②―自分の発言(チャンネル桜での討論)が切っ掛けで成った特集号ということもありますが、それ以上に当時の保守業界の「空気」に真っ向から反論した最初の号だという点で思い出深いものがあります(それ以前に、 『ネオリベ国家ニッポン』や『消費増税を凍結せよ』もなかなか尖っていましたがw)。

 その点、これで「産経を中心とした主流派保守業界」からの仕事はなくなるな(…ますます貧乏になるな…)と思った号でした(笑)。

 

 ③—これは、言うまでもなく、コロナ過剰自粛に対して真っ向から異を唱えた炎上号であると同時にw、クライテリオン·グループの分裂の契機ともなった特集でもあり、忘れようがありません。私自身の特集原稿「『自粛論』の進め方についての疑問―人間不在のコロナ騒動」に関しても、各方面からの反論を相当慎重に吟味した上で、「しかし、これだけは絶対に書いておく」という気持ちで筆をとったことを覚えています。かつて、福田恆存が「平和論の進め方についての疑問」という論考で「保守反動」のレッテルを貼られ、論壇から「村八分」にされましたが、その「精神」(真理は歴史が証てくれる!)を継ぐつもりで取り組んだ特集号でした。

 特集で扱った「事実」は、今読めば、誰にも明らかだと思っています。

 

④―これまた、正面切って「ポリコレ、何ほどのものか」とやって、非難を浴びた号でした(笑)。
しかも、これまで、クライテリオンにはお呼びしたことのなかった(あるいは遠いと思われていた)、東浩紀さんや、三浦瑠璃さんや、綿野圭太さんや、ベンジャミン・クリッツァ―さんなどに登場して頂いてできた号という点でも
それ以降のクライテリオンの幅を広げることのできた号になったのではないかと(それ以降、「保守」ではない、宮台真司さんや、大澤真幸さん、そしてこれは塾の話ですが、哲学者の古田徹也さんなどにもお声がけする切っ掛けになった号だったような気がします)。
  ※あと、これは個人的な話ですが、若い頃、色々と思うところがあった東浩紀さんにお会いできたことに関しては、…感慨深いものがありました(笑)。
 

⑤―そもそも、「皇室論」(男系/女系/女性天皇)は、保守の中でも議論が割れている難しい主題で、確か、この特集号を組むに当たって、編集委員の中でもメールでの議論を例外的に積み重ねた記憶があります。それほど、「心理」と「政治」とを繋ぐ難しい問題だったということですが、その難しい主題を何とか纏めることができた良い特集号になったという手応えがある一方で、しかし、世間的には売れないし、その後に小林よしのり氏からクライテリオン一派が叩かれるし…と、なかなかの災難でした(笑)。

 

 他にも思い出深い号(中華未来主義やウクライナ号など…)は山ほどありますが、しかし、こうやって振り返って見ると、この5冊は、自分自身の人生の分岐点、あるいは、雑誌それ自体の分岐点を象徴しているものになっていることに気が付きます。その意味では、やはり思い出深い号と言うのは、「危機と対峙した号」ということなんでしょう。

 その点、世間の「空気」に流されることが一切なかったことは、『表現者クライテリオン』の誇りです。

 


編集委員・柴山桂太 先生のご回答

質問1:これまでの『表現者クライテリオン』の特集の中で特に印象に残っているもの、思い出深いものはなんですか。

 いろいろ印象に残っていますが、個人的には、MMTを特集した86と、小川三夫さんにインタビューした回(99号)亀山郁夫さんにインタビューした回(104号)がとりわけ心に残っています。

質問2:その理由をお教えください。


①86号は、MMTを日本で最初に本格的な紹介を行った回で、いまも記念すべき特集だったと思っています。

 

②宮大工の小川三夫さんは以前からファンだったので、インタビューできたのはいい思い出でした。そのときに伺った話は、今も私が「伝統」とは何かを考えるときに、大いに参考にさせて頂いています。

③亀山郁夫さんは、川端さんとインタビューに言ったのですが、たくさんの興味深いお話を伺うことができました。ロシアの精神性について理解が深まりましたし、そのときに伺った露宇戦争の予想についての見通しは、1年たった今でも間違っていなかったように思います。人文学の凄みを感じました。

 


編集委員・川端祐一郎先生のご回答

質問1:これまでの『表現者クライテリオン』の特集の中で特に印象に残っているもの、思い出深いものはなんですか。

·「コロナが導く大転換」(2020年7月号)と「コロナから日常を取り戻す」(別冊)

·「皇室論」(2022年3月号)

·「ウクライナからの教訓」(2022年7月号)と翌号の亀山郁夫氏のインタビュー

・「西部邁 永訣の歌」

質問2:その理由をお教えください。

 コロナ·皇室·ウクライナを扱った号に関しては、執筆者の間でも意見の相違があったり、外部から強い批判を受けたり、一般の読者の中にも憤慨している方がおられたりしたという点で印象に残っています。コロナに関しては、言うまでもなく「自粛の是非」をめぐって深刻な対立が生まれました。皇室論に関しては、個人的には「女系容認論に傾き過ぎ」という誹りがあることを予想していたのですが、意外にも「男系護持論だからダメだ」とのご批判を頂戴しました。そして去年扱ったウクライナ問題では、ロシアの非道に対する抗議が不十分だというご指摘を受けました。

 振り返ってみると、「我々もそう単純な議論をしているわけではない」と反論したい部分もあれば、「ここはもう少し丁寧に議論すべきだった」と反省する箇所もあるので、火に油を注ぎたいわけではないですがいずれ落ち着いて論じ直したいテーマばかりではあります。

 

 西部邁追悼号に関しては、事実上、この雑誌の出発点のようなものとして強く印象に残っています。実際にはその前号(2018年3月号)が『表現者クライテリオン』としての創刊号なのですが、ちょうどそれを編集し終えた頃に西部先生が亡くなり、それから二ヶ月間はとにかく慌ただしく「追悼号」の準備をすることになったので、創刊号の記憶はもうどこかへ飛んで行ってしまいました。

 読み直すと、64名分の原稿を大雑把に分類してとにかく並べたというもので、急ごしらえの編集ではありましたが、やはりあの時期だからこそという臨場感のある回想が集まっていると思うし、この号だからこそご寄稿いただけた執筆者も多い。そして、これだけの大人数で寄ってたかっても到底「西部邁」という人物を論じ尽くしたという気になれないという点でも、忘れようのない一冊です。

 


顧問・富岡幸一郎先生のご回答

質問1:これまでの『表現者クライテリオン』の特集の中で特に印象に残っているもの、思い出深いものはなんですか。

「中華未来主義との対決」、「新·空気の研究」

質問2:その理由をお教えください。

「中華未来主義との対決」

現代の中国は監視社会のシステムとマモンの支配において世界の現在と未来の象徴であるとともに、中華帝国の復興という古代的な野望を抱いている。

この「帝国」の行方は日本は言うまでもなく世界の行方を決定するだろう。

いわゆる保守論壇が中国を近視眼的に捉えることが多いときに、本誌ならではの総合的な視点から「中国化する世界」を特集したことは、文明の衝突がロシア·ウクライナ戦勝によって明らかな現実になっている現在、極めて意義があると思われる。

 

 

「新·空気の研究」

山本七平の「空気の研究」を改めて想起させるコロナウイルス下の日本の倒錯的な現実は、この国の近代の根本的な社会の特質を考えさせられる契機となったが、ほとんどのマスコミは、この社会を支配する「空気」を無意識に吸収して、それをあたかも世論であるが如きものとして、そこにいささかも反論や異論を挟ませる事をさせないものがあった。

これは超越的な価値観を持ちえない日本社会と日本人の紛れもない「病理」であり、戦前は軍事官僚の支配、戦後はアメリカニズムとそこに従属する政治官僚によって、この「空気」が構成されてながら、それがメディアを一方通行のものとして権力化してしまう。

現在のウクライナ報道も同じであり、そこで保守もリベラルもこの一方的な「空気」に呪縛されている。

真に自由な言論はそこでは有り得ない。

この異常な抑圧的な状況は、日本社会を明らかに衰弱させ、日本人の思考力を奪い、国家を死滅させるだろう。

この特集のもつ意味は、従って大きいと思われる。

(了)

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