毎年5月3日の憲法記念日が近づく頃、新聞などマスメディアをはじめとする様々な組織や機関によって日本国憲法に関する各種世論調査が行われています。
NHK世論調査 憲法改正「必要」は36%「必要ない」は19% | NHK | 憲法
日本国憲法施行から77年目にあたる今年(2024年)4月に行われたNHKによる世論調査(注1)では、「憲法改正の必要性」に関する設問で「改正する必要がある」が36%、「改正する必要はない」が19%、「どちらともいえない」が41%で、昨年の同じ時期に行なわれた調査とほぼ同じ割合となりました(2023年調査:必要ある35%、必要ない19%、どちらともいえない42%)。
「改正する必要がある」とする理由としては「日本を取り巻く安全保障環境の変化に対応するため必要だから」や「国の自衛権や自衛隊の存在を明確にすべきだから」などが挙げられており、「改正は必要ない」理由としては「戦争の放棄を定めた憲法9条を守りたいから」が最も多くなっています。
毎日新聞も「憲法改正」に関する世論調査(注2)を行っていますが、NHKの調査と大きく異なる点は、「(自身の)自民党総裁任期中に憲法改正を目指す」と発言している岸田文雄首相の在任中に憲法改正を行うことについての是非を問うたことで、「賛成」の回答は27%で「反対」の回答の52%を大きく下回りました。
調査方法や対象が異なるので単純な比較はできませんが、NHKと毎日新聞のそれぞれの調査の間にみられる結果の違いは、現在の岸田政権と国会に対する国民の不信と不安の顕れであるように思えてなりません。
改憲「賛成」27% 2年連続で減少 毎日新聞世論調査 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
現在の日本国憲法について「改憲が必要である」と考える国民の中に、「国民の生命と財産」を守るという政治の務めを忘却し、米国からの称賛を得たいがために、米国議会において「日本の国益や国民の幸福なんて全て度外視して、米国がやることを全面的に是認し、全面的に支援する」という米国に媚びを売る内容の演説(注3)を行う岸田首相に対する諦めや憤りと、「プライマリーバランスの黒字化」という過てる目標を堅持し、スタグフレーション化する国内経済の状況下で貧困化する国民の苦境を放置し、未だ厳しい状況にある能登半島地震の被災地に救いの手を差し伸べることもなく、「政治とカネ」を巡って自らの地位と権益を守ることに執着し、国会を空転させ続ける議員たちに対して、「我が国の将来を左右する憲法改正という重大な決定を、果たして彼らに委ねてよいのか」という疑念が生じてしまっていると言えるのではないでしょうか。
憲法に関するアンケート調査と同様に、毎年のように護憲派と改憲派がそれぞれ主催する様々なイベントが各地で開催されています。今年の憲法記念日には、憲法改正の発議を求める「第26回公開憲法フォーラム」(民間憲法臨調、美しい日本の憲法をつくる国民の会による共催)が東京都内で開かれました。
同フォーラムで登壇した糸数健一与那国町長が「できれば憲法9条2項を変え、交戦権を認めるよう改めてほしい」と主張し、「国の平和を脅かす国家に対して、一戦を交える覚悟が全国民に問われているのではないか」と語ったことが物議を醸しています(注4)。
糸数氏は「現憲法は誰が読んでもおかしな日本語で書かれている」と指摘し、「マッカーサーをはじめとする連合国軍総司令部(GHQ)にかすめ取られた一部の馬鹿な日本人も加担し、日本人を徹底的に粉砕するために作られたのではないか」と述べて、いわゆる「押し付け憲法論」を展開しました。さらには、戦争や災害時に政府の権限を一時的に強化する緊急事態条項を改正憲法に盛り込むことや「現憲法9条2項の交戦権を『認めない』を『認める』に改める必要がある」ことを強調し、台湾有事の可能性にも触れて「将来(日本が)中国の属国に甘んじるのか、台湾という日本の生命線を死守できるかという瀬戸際にある」との認識を示しました。
フォーラムにおける糸数氏の発言に対して『沖縄タイムス』『琉球新報』両紙が強く反発しています(注5)。
『沖縄タイムス』は「有事の危機を煽るスピーチ」であり、「町長の役割は、町民の暮らしと安全を守ることである」「『一戦を交える覚悟』と言及したことは、こうした施策-与那国町は、いわゆる有事を想定し、町民が自主的な避難を望む場合に、当面の生活費などの支援金を支給するための独自の基金条例を創設している-とも矛盾するのではないか」「最も大事なことは戦争を起こさせないようにする努力だ。挑発するような態度は、かえって地域を不安定にし、住民の不安を増長させる」と批判しています。
『琉球新報』は、糸数氏が語る「一戦を交える覚悟」とは「住民保護の姿勢と相反するものではないか」と指摘し、自民党の麻生太郎副総裁が2023年8月に台湾を訪問した際の講演で「台湾海峡の平和と安定には強い抑止力を必要とし、そのために日米や台湾に『戦う覚悟』が求められる」と主張したことを引き合いに出し、糸数氏の発言が「国民や住民に『覚悟』を強いるものであるならば、看過できるものではない」と批判しています。
また、糸数氏が「日本は旧宗主国として台湾に対する責任を放棄してはならない」と述べたことを取り上げ、「正式な国交はないものの、日本と台湾は戦後、対等なパートナーとして協力関係を深めている。にもかかわらず、『旧宗主国』との表現を使うことは、時代錯誤も甚だしいと言わざるを得ず、過去の日本の植民地支配を肯定するものとの批判は免れない」と論じています。
『沖縄タイムス』の「最も大事なことは戦争を起こさせないようにする努力だ」とする主張は、至極当然のことを述べているのであり、否定できるものではありません。また、糸数氏が「旧宗主国」との表現を用いたことは、日本と台湾の関係を未だに「支配=被支配」の関係もしくは主従関係であるかのごとくに認識していると受けとめられかねず、『琉球新報』が「時代錯誤も甚だしい」「過去の日本の植民地支配を肯定するものとの批判は免れない」として「地域の平和と安定のためには、自治体レベルでの友好関係構築も不可欠だ」と論じていることについては、首肯せざるを得ないように思います。
しかしながら、自治体の首長として「住民保護に努めること」と、住民に対して「いざという時(有事の際)に侵略者と一戦を交える『覚悟』を求めること」とは、決して矛盾するものではありません。
糸数氏が、国境の島であり、かつ国防の最前線に位置する自治体の首長として、近年の中国の軍備増強や強引な海洋進出、度重なる北朝鮮の弾道ミサイル発射や中国による尖閣諸島周辺における領海侵犯に危機感を募らせ、有事に備えて政府に対して「防衛力の強化」を求めるのは至極当然のことであり、それと同時に、でき得る限り「住民保護に努めること」が為政者の責務であることは論ずるまでもない自明のことであるように思えます。
その一方で、自ら望まなくても平和を脅かす国家やテロ組織などに攻め込まれる可能性を完全に払拭することができない以上、住民に対して、いざという時に備える「覚悟」を求めることは致し方ないことなのではないでしょうか。
『沖縄タイムス』と『琉球新報』両紙による、糸数氏の国民に「覚悟」を問う発言に対する批判は、沖縄で拡がる「南西諸島の防衛力強化」に対する反発と同様に、「『非武装の姿勢と非暴力の態度』を示せば相手から攻めてくることはなく、平和が保たれる」と考える「性善説」と「平和主義」を前提にしているものと考えられます(注6)。
沖縄に広く蔓延している「平和主義」に基づく言説が、「我が国が『非武装の姿勢と非暴力の態度』を貫きさえすれば『平和』が保たれる」という「夢物語」を妄信しているということではなく、我が国が「非武装の姿勢と非暴力の態度」を示したとしても好戦的な諸外国やテロ組織に侵攻されて平穏な生活が脅かされる可能性があることを認めた上で「非武装と非暴力」を貫くことを求めているということであるのならば、それは国民に対して「ガンディー主義」=「非暴力・不服従」主義を強いることであるように思えます。
昨年『表現者クライテリオン』に寄稿した拙稿(注7)で論じたように、沖縄で語られる「平和主義」とガンディーの「非暴力・不服従」との間には大きな懸隔があります。
拙稿で言及しましたが、西部邁が「ガンディー主義の不可能」を論ずる中で「今もなお『非暴力による抵抗』という政治信条は、平和主義者たちを魅了し続けているが、それを『平和主義』とよぶのは不適当である。非武装の姿勢と非暴力の態度で、叩かれ打たれ踏まれ殺されていくにもかかわらず、集団の態勢を解かずに権力の管理、抑圧、横暴、狂暴に抵抗しつづけるというのは、決して平和な状況とは言えない」と指摘しています(注8)。
また、映画『ガンジー(Gandhi)』(注9)で描かれた「塩の行進」と「ダラサナ・サッティヤーグラハ」(ダラサナ製塩所での非暴力・市民的抵抗運動)において、人々が隊列を組んで静かに歩みを進め、製塩所を警備する警官隊に棍棒で殴りかかられても決して身を守ることも抵抗することもせずに「非暴力」を貫き通し、共に行進する仲間が傷を負い、倒れて命を落としても、生き残っている人々が黙々と粘り強く行進し続ける様は、とても「平和」という言葉で言い表すことができるものではありません。
『沖縄タイムス』と『琉球新報』両紙―そして、恐らくは「平和主義者」たちの多く―が、糸数氏が国民に対して「一戦を交える『覚悟』」を求めたことを強く批判していますが、私には、「平和主義者」が「非暴力と非武装を貫く『覚悟』」を求めることの方が、国民に対する、より苛酷な要求であるように思えてならないのです。
東京で開催されたフォーラムで糸数氏が憲法改正を求めたのと同じタイミングで、沖縄から改憲論議を求める声が上がりました(注10)。
『八重山日報』が「【視点】改憲論議 沖縄が先導役に」と題するコラムで「憲法は3日、施行から77年を迎えた。憲法がつくられた当時とは、国民生活も日本を取り巻く国際環境も激変したが、憲法は一度も改正されないまま現在に至り、条文と現実との齟齬が著しい。特に戦力の不保持を定める9条は、沖縄が他国の軍事的脅威にさらされている現状を考えると非現実的だ。県民の平和を希求する心を具体的な政策として実行するためにも、9条の改正論議を前に進めてほしい」として「いまこそ改憲論議を進めるべきである」と明確に主張しています。
同コラムでは「時代は大きな変遷を繰り返している。特に安全保障の分野において、憲法が国民の要請に応えられなくなっているのは明らかだ。とりわけ沖縄にとっての問題点は、憲法が戦力の不保持を定めたために、自国の防衛を本質的に米国に依存する体質が定着してしまったことだ。これが沖縄の広大な米軍基地と、県民の基地負担につながっている」「自衛隊を憲法上の存在に位置付け、米軍に代わり、沖縄防衛でより大きな役割を担えるような組織に育てることは、県民の基地負担軽減に役立つはずだ。安全保障に関する規定が脆弱な現在の憲法は、それ自体が沖縄にとっての不安要因と言ってもいい。『台湾有事が勃発すれば、沖縄が巻き込まれるのでは』という声をよく耳にするが、その懸念は的を射ていない。沖縄は巻き込まれるのではなく、最初から当事者なのである」と論じた上で「改憲を身近で切実な問題として訴えることができるのは沖縄だけだ。沖縄こそ改憲論議のキーマンでなくてはならない」と締めくくっています。
2018年8月の『表現者クライテリオン』沖縄シンポジウム(注11)で、編集委員である浜崎洋介氏が「対米従属の問題を解決するには、日本の国力を上げることと憲法改正以外に途はない。憲法改正に向けた声が沖縄から上がっても良いのではないか。それこそが恐らく最も筋が通った対米従属解放論になるはずである」と論じていたことを思い出します。
これまで沖縄に「憲法改正」や「対米従属から脱却し、自衛隊(自国の軍隊)を中心とする防衛・安全保障体制を確立すること」を求める声が全く存在していなかったという訳ではありません。
しかしながら、これまで繰り返して論じてきたように、沖縄の言論空間は「リアリズム」と称して対米従属の現状を追認する言説と「絶対平和主義」に基づく「夢物語」によって覆い尽くされており、強い同調圧力の下で「憲法改正」や「独立国に相応しい防衛・安全保障体制の確立」を望む人々は沈黙を強いられるか、たとえ彼らが声を上げたとしても、その主張が沖縄社会に広く拡散することはなかったのです。
例えば、以前に拙稿(注12)でも取り上げましたが、いまから20数年前に、大城常夫・高良倉吉・真栄城守定の琉球大学の三教授(当時)によって、いわゆる「沖縄問題」-我が国の「防衛・安全保障」に関する問題-を巡って、沖縄に蔓延る「絶対平和主義」に基づく非現実的な議論とは異なる形で、創造的な議論を展開することを企図して「沖縄イニシアティブ」が提起されたことがありました。しかしながら、『琉球新報』と『沖縄タイムス』を主たる舞台として「沖縄イニシアティブ」に対する激しいバッシングの嵐が巻き起こり、結局、沖縄の言論空間が創造的な議論の場となることなく終わってしまいました。
今回のフォーラムにおける糸数氏の問題提起や『八重山日報』の改憲論議を求める主張は、沖縄、そして日本全体を取り巻く国際環境の変化に対する至極当たり前の反応であるように思います。
しかし残念ながら、沖縄の言論空間において、「改憲」や「独立国に相応しい防衛・安全保障体制の確立」を求める言説は、かつての「沖縄イニシアティブ」のように激しいバッシングに晒されてしまうか、もしくは「論ずるに値しない過激な主張」と看做されて黙殺されてしまう可能性を否定することはできません。
沖縄から発せられた問題提起がきっかけとなり、我が国の「独立国に相応しい防衛・安全保障体制の確立」や「改憲」に向けた国民的な議論が始まることを切に願います。
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(注1) NHK世論調査 憲法改正「必要」は36%「必要ない」は19% | NHK | 憲法
(注2) 改憲「賛成」27% 2年連続で減少 毎日新聞世論調査 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
(注3) 令和6年4月11日 米国連邦議会上下両院合同会議における岸田内閣総理大臣演説 | 総理の演説・記者会見など | 首相官邸ホームページ (kantei.go.jp)
・解説・岸田文雄総理米国議会演説 ~それは日本の国益に叶う内容だったのか?~(前半) :: 有料メルマガ配信サービス「フーミー」 (foomii.com)
・解説・岸田文雄総理米国議会演説 ~それは日本の国益に叶う内容だったのか?~(後半) :: 有料メルマガ配信サービス「フーミー」 (foomii.com)
(注4)5/3 第26回「公開憲法フォーラム」(令和6年) (youtube.com)
・「9条を変えて交戦権を認めて」 与那国町長が都内の集会で主張 憲法は「GHQにかすめとられたばかな日本人も加担して作られた」 | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
・与那国町長、交戦権「認める」訴え 「一戦交える覚悟、問われている」 都内の憲法改正集会で – 琉球新報デジタル(ryukyushimpo.jp)
(注5) [社説]与那国町長「覚悟」発言 危機高める決めつけだ | 社説 | 沖縄タイムス+プラス (okinawatimes.co.jp)
・<社説>与那国町長の改憲主張 発言の真意説明すべきだ – 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
(注6) 【藤原昌樹】「平和」のために求められるものとは―急速に進められる「南西諸島の防衛力強化」と沖縄の県民感情 | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
(注7) 拙稿「私たちはガンディーにはなり得ない―沖縄の『平和主義』は『非暴力』主義に耐えうるか―」『表現者クライテリオン』110号(2023年9月号)
・表現者クライテリオン2023年9月号 | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
(注8) 西部邁『核武装論 当たり前の話をしようではないか』講談社現代新書、2007年
(注9) 映画『ガンジー(Gandhi)』(リチャード・アッテンボロー監督・製作、1982年)
(注10) 【視点】改憲論議 沖縄が先導役に | (yaeyama-nippo.co.jp)
(注11) 表現者クライテリオン・沖縄シンポジウム「沖縄で考える保守思想」(2018年8月20日)で議論した内容については、特集「沖縄で考えるニッポン」(『表現者クライテリオン』第82号(2019年1月号)所収)及び下記のメールマガジンで読むことができます。
・表現者クライテリオン 2019年1月号(12月15日発売) | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
・【藤井聡】「沖縄」からはじまる、日本の復活! | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
・【柴山桂太】沖縄シンポジウムを終えて | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
・【浜崎洋介】「辺境」から見えるもの――沖縄シンポジウムを終えて | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
・【川端祐一郎】沖縄シンポジウムで話し足りなかったこと——基地建設による環境破壊について | 表現者クライテリオン(the-criterion.jp)
(注12) 【藤原昌樹】「沖縄イニシアティブ」の再検討 | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)
(藤原昌樹)
〈編集部より〉
本記事は4月16日より発売中の最新号『表現者クライテリオン2024年5月号』に掲載されております。
全文は本誌に掲載されておりますのでご一読ください。
特集タイトルは
です。
今、日本の各領域において激しく進行している「腐敗」とそれに対する国民の「不信」の構造を明らかにすることを通して、その「腐敗」を乗り越えるため方途を探る特集となっております。
ぜひお読みください!!
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