本日は3月30日開催の「表現者クライテリオン沖縄シンポジウム〜戦後80年、沖縄から考える対米独立への道〜」
の開催を前に7年前の2018年の沖縄シンポジウムに関する記事をお送りいたします。
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沖縄をめぐる不義理
二月の東京、五月の北海道に続いて、八月には沖縄で本誌のシンポジウムを開催した。言わば日本の中心と両端を飛び回ったのだが、土地を変えながら読者を交えて討論をする機会というのはじつに貴重なものであると改めて思い知らされた。この三度のシンポジウムを通じて我が国の抱える問題の形が鮮明に浮かび上がってきて、簡単に要約すれば、東京に漂うのは「思想の混乱」と「ニヒリズム」であり、北海道で見聞きしたのは「衰退する地方」と「中央政府の責任放棄」であり、そして沖縄で痛感されたのは「国家主権の喪失」と「戦後日本人(本土人)の不義理」であった。
私は学生時代に沖縄出身の友人がいたのだが、彼は高校を出て県外の大学に進学するにあたり、祖母から「内地を見ておくのはお前の経験のために良い。しかし内地の人間は絶対に信用してはならない」と強く忠告されていたらしい。私は国民の分断を良いことだとは思わないが、沖縄県
民が本土の国民に猜疑心を向けるのは尤もなことだと思っている。軍民一体の凄惨な地上戦を強いられたにも拘わらず、戦後は切り捨てられて占領状態が継続し、復帰後も巨大な負担を押し付けられているというのが沖縄であって、本土人の不義理が目に余るからだ。しかも、沖縄戦は「国家の防衛」という大義のある負担であったかも知れないが、戦後の沖縄は防衛というよりも「主権放棄」の最前線に立たされてきたのであって、物理的な負担のみならず屈辱をも一身に負わされているのである。
サイレント・マジョリティの常識
シンポジウムの終わり頃に一人の学生参加者から質問が上がったが、質問それ自体よりも、彼の説明する沖縄の空気が印象的であった。大学は左派の平和主義に占拠されたも同然で、しかも沖縄は同調圧力の強い社会だから、自主防衛や主権の回復などを唱えればたちまち「極右学生」の
レッテルを貼られることになる。また逆に、平和主義に抗する声がわずかにあるとしても、対米従属をよしとする実利主義的な基地擁護論ばかりである。つまり、「米国による半占領状態を終わらせて、一人前の主権国家を目指すべし」というような常識的な議論は、聞き入れられる余地がないのだという。
たしかに本土から報道を通じて眺めていても、沖縄の政治模様というのはどこか両極端に振れていて選択肢が少なく、世論にも言論にもアンバランスで不安定なところがあるように思える。悪く言えば、政治的議論がなかなか「成熟」や「洗練」には向かわないように見えるのだ(もちろん本土の政治も成熟や洗練には程遠いのであるが)。ただ、桁外れに大きな物理的・精神的負担を強いられてきた歴史を考慮すれば、議論の成熟などしようがないのも当然ではあって、沖縄の政治が極端に振れがちで落ち着きがないのも、その原因の多くは本土側の不義理にあると言うべきだろう。
じつは正直に言うと本誌編集部の間でも、「シンポジウムで基地問題に議論が及べば、過剰な反応をする参加者も中にはいるのではないか」との懸念が無くはなかった。しかし結果的にそれは取り越し苦労というもので、シンポジウムにおける討議も、その後の宴会──元来は宴会のことを「シンポシオン」と言ったのであるが──での参加者との議論も、ほどよい緊張と落ち着きの中で進められ、充実したものとなった。絶対平和主義と対米従属主義の両極が沖縄の政治の表層で目立っているとは言うものの、その裏側には、本誌の読者をはじめとするサイレント・マジョリティの常識が確かに存在しているのであろう。今回のシンポジウムで得られたのは、そのような印象であった。
沖縄の問題は解決不可能ではない
しかし問題は、常識の声が「サイレント」に過ぎないということである。沖縄県民の間でそうであるばかりでなく、本土人が沖縄を論じる場合も、一人前の主権国家を目指すべしというような常識に沿った議論はごく少数に留まるのが現実だ。その原因の一つは恐らく、沖縄をめぐる問題の多くが、「解決不可能」で「仕方がない」ものとして観念されていることだろう。
国内に大規模な米軍基地が存在すること、その大半が沖縄に集中していること、日米地位協定により広範な特権が米軍に認められていることなどについて、多くの日本人はあまり論点を明確にもしないまま、漠然と「仕方がない」ことだと考えている。自力での防衛は無理だからアメリカの軍事力に頼る必要があり、沖縄は地政学的要衝だから基地の大半が集中するのは当然であり、守ってもらっているのだからアメリカに有利な協定が結ばれるのはどうしようもない、というわけだ。しかしこの「仕方がない」という無力感にはさほど根拠がない。
安全保障を米軍に頼る状況の長期化は我が国にとってむしろリスク要因になるのであって、しかもアメリカ側は東アジアにかけるリソースの縮小を仄めかしてもいる。また沖縄に米軍基地の大半を集中させていることについても、シンポジウムで藤原氏が解説していたように、かつて防衛大臣自らが「軍事上その必要はない」旨を認めていた。そして地位協定については、そもそも日本政府は最低限の交渉すら行っておらず、それどころか協定以上に米軍に有利な密約を結んだり、米軍の違反を追認する方向でガイドラインを改正したりしている始末で、その結果としてイタリアやドイツ、イラクやアフガニスタン、さらには韓国に比べても不利な運用を自ら進んで受け入れているに過ぎない。
沖縄の問題を「解決不可能」に見せかけているものは、我々の意志の弱さと、進んで主権を手放すという奴隷根性に他ならない。マジョリティの常識に声を与え、この無力感を払拭する必要がある。
<編集部よりお知らせ>
日時:3月30日14時~
第1部 14時00分〜15時00分
ポスト2025の世界と沖縄—第二次トランプ政権がもたらす試練
第2部 15時10分〜16時30分(質疑・応答含)
戦後80年の検証 ー 沖縄に見る対米関係の実像
懇親会 17時00分〜19時30分
会場:沖縄県市町村自治会館
(那覇空港から車で10分、バスターミナルから徒歩3分、旭橋駅から通路直通、徒歩5分)
会費:一般、3000円、塾生・サポーター:2000円
懇親会:5000円
<お知らせ2>
表現者塾は『表現者クライテリオン』の編集委員や執筆者、各分野の研究者などを講師に迎え、物事を考え、行動する際の「クライテリオン=(規準)」をより一層深く探求する塾(セミナー)です。
◯毎月第2土曜日 17時から約2時間の講義
◯場所:新宿駅から徒歩圏内
◯期間:2025年4月〜2026年3月
◯毎回先生方を囲んでの懇親会あり
◯ライブ配信、アーカイブ視聴あり
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