【全文公開】富岡 幸一郎「世界潮流の中の日本」

富岡幸一郎

富岡幸一郎 (文芸評論家)

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【最新号より特別全文公開】

世界潮流の中の日本

【虚構と言語】 第四十二回

富岡 幸一郎

 これまで「マルクスの亡霊たち」というタイトルのもとに、世界史における一神教を見すえるなかに現われる諸問題について考察してきた。私が言いたいことは簡単であり、ユダヤ・キリスト教を淵源とする一神教を知的に理解(信仰とは別にして)することが、今、この世界で生起している出来事の真理を捉えるためには不可欠である、ということであった。

 一神教は戦争や宗教対立ばかりを起こしてきたが、日本(人)は「八百万の神々」で「お天道様」を信じ、そもそも平和を愛する国民である、などと寝言をくりかえしてもらっては困るということである。とりわけ保守を自称する者たちが時々そんなことを喋っているのを聞くにつけ、私は頭をかかえてきた。誤解のないようにいえば、これは私自身がキリスト教信者であるという個人の信仰とは、本質的には無関係である。もちろん信仰者としての私とその言説は切り離すことはできないし、そうすべきではないと思っているが、キリスト教自体(カトリック、プロテスタントその他の教派を問わず)は、今日の世界で(教会やその制度は存続していても)実質的には死んでいる。

 エマニュエル-トッドが『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』(邦訳二〇二四年刊)で鋭く指摘しているように、西洋世界を支えていたキリスト教の伝統的価値観は、啓蒙思想により「一八七〇年から一九三〇年の間に崩壊」して、第二次大戦争後には宗教の復活が少しはあり、そこで未だ存在していた「キリスト教・ゾンビ」も、一九六〇年代以降の国民国家の衰退と社会のアトム化で「ゾンビ状態」から「ゼロ状態」へと移行して今日に至ったというのは真実だと思う。とりわけ、この「ゼロ状態」つまり「宗教的空虚こそ、新自由主義の究極の真理なのである」と看破していることはその通りであろう。「ゼロ状態」とは、いうまでもなく十九世紀末にニーチェが予言したニヒリズムの到来である。

 《私が物語るのは、次の二世紀の歴史である。私は、来るべきものを、もはや別様には来たり得ないものを、すなわちニヒリズムの到来を書き記す》(『権力への意志』原佑訳)

 ニヒリズムといってもピンと来ない日本人は多いだろう。余談だが昨年の十一月一日に西尾幹二氏の没後一年の集いで、保守派の論客といわれる西尾氏の仕事について語る機会を得た。亡くなった折の新聞の訃報記事に「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長として、いわゆる「自虐史観」の訂正に尽力した保守派の評論家といった紹介がなされていたので、私はいくら何でもこれはひどいと思い、ドイツ文学者としてニーチェ研究から出発したその稀有な思想家としての全体像を語ったのである。会場には多くの聴衆が集ったが、私が西尾氏が生涯「最大の敵」としてきたのが「ニヒリズム」であるということを氏の著作の言葉から説明するとポカンとする方々が散見された。いわゆる「保守」派にとって「敵」は、反日的な「自虐史観」であり「リベラル」であり「左翼」でなければわかりにくいのである。ニヒリズム(虚無主義)との「戦い」こそが、「保守」の本質的かつ究極的な課題であることを西尾幹二は一貫して主張してきたのであり、その政治論も含む厖大な著作(全集二十二巻に明らかなように)の全てはその一点を目ざして書かれているのである。そのことがわからないのは、裏返せば一神教が理解できないということなのだ。

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 「マルクスの亡霊たち」というタイトルは、フランスの哲学者ジャック・デリダの『マルクスの亡霊たち』をもちろん意識していた。この原著が刊行されたのは一九九三年である。邦訳は二〇〇七年である。冷戦崩壊直後にデリダは、マルクス主義がソビエトという哲学的全体主義国家の崩壊とともに否認され、F・フクヤマのいう資本主義の勝利による「歴史の終わり」がいかなる悲惨を(グローバリズムによって)もたらすかを予告していた。しかしそれは決してマルクスなりマルクス主義への回帰や再評価(再発見)をうながしたものではない。デリダはむしろマルクス主義の教条的なイデオロギーに批判的であり続けながら、新自由主義とグローバリズムが世界を破壊していく潮流に対して、「新しいインターナショナル」の思想的価値を示そうとしたといっていい。そこには国家の再興がある。さらに、それは「メシアニズムなきメシア的なもの」とデリダが表明した、「神の死」(ニーチェ)以降の二世紀、いや三世紀に及ぶ「宗教的空虚」(自由民主主義の倒錯的支配)への対抗としての一神教の最終的な脱構築がある。脱構築などとめんどうな用語であるが、要するにリフォーム・トゥ-コンサーブ、保守するための改革である。日本人のデリダ学者-翻訳者の方々は、デリダの難解な哲学用語とそのパフォーマンスが格好いいので、そちらばかり強調してきたが、デリダがユダヤ人である(マルクスも然り)ことを思い出してくれればいいのである。デリダは、「マルクス主義者」はもはや時代遅れであるが、マルクスのテクストは永遠である、と短絡的なことを主張しているのではない。メシアニズムが地上に国家となって倒錯的に現出するとき、イスラエル国家の根拠たる近代シオニズムに変質する(これについては本連載でこれまで詳述してきた)ように、マルキシズムは地上のソビエト国家として二十世紀に出現しそして崩壊した。では、マルキシズムではない「マルクス的なもの」とは何か。ここにデリダの問いが内在している。

世界潮流の大転換

 前置きが長くなったが、これまでの連載(「マルクスの亡霊たち――日本人の『一神教』理解の問題点」)から、新たなかたちでの連載をしていきたいと思う。「世界潮流」という言葉をそこで用いたい。世界とは、政治、経済、社会、軍事や科学そして宗教や文化も含むところの多義的な意味があるが、個々の現象や出来事の底流にあるもの、ひとつひとつの事象がこの現実上に現われてくる時間の深層にできるだけ目を届かせていきたいのである。

 トランプ2・0のまさに革命といってよい反グローバリズムの流れは、この三十有余年の新自由主義的な世界秩序をたしかに大きく変えつつある。いや、変えつつあるという曖昧な言い方ではなく端的に激変である。日本の政治の景色も昨年の参議院選挙から明らかに様変わりした。

 この原稿を書いているのは一月十八日であり、高市内閣が総選挙を敢行するということで、立憲民主党と公明党が「中道」勢力の結集を掲げて新党をつくることが報道されている。高市政権の「右寄り」に対しての「中道」なのだろうが、そもそも「右」にしても「左」にしても、現今のポピュラリズム状況ではその用語はすでに定義することすら難しい。そこで「中道」というのであれば、当然その正体はわけのわからないヌエ的なもの(つまりは選挙に取りあえず勝つため・落選しないためのもの)になる他はない。

 「中道」という言葉で私がすぐに思い出すのは、あのアドルフ-ヒットラーの科白である。いや、実在の歴史上のヒットラーの科白ではなく、三島由紀夫の芝居『わが友ヒットラー』の最後の科白である。「そうです、政治は中道を行かなければなりません」。この芝居はヒトラーの前半生の盟友であったレームの突撃隊の血の粛清をテーマにしているが、独裁者が政権を掌握するためには「右」と「左」の極端な両翼を切るという政治的原理である。三島は、ヒトラーへの興味よりも「レーム事件」に興味があったとして、こう作品の背景を説明している。「政治的法則として、全体主義体制確立のためには、ある時点で、国民の目をいったん『中道政治』の幻で瞞着せねばならない。それがヒットラーにとっての一九三四年の夏だったのであるが、このためには、極右と極左を強引に切り捨てなければならない。/この法則は洋の東西を問わぬはずであるが、日本では、左翼の弾圧をはじめてから二・二六事件の処断までほぼ十年かかった。いかにも計画性のないお国柄を反映している。それをヒットラーは一晩でやってのけたのである。ここにヒットラーの仮借ない理知の怖ろしさがあり、政治的天才がある」。

 いや、ヒトラーのこと(三島の芝居のこと)を挙げたのは、かつての常道であった「政治的法則」すらも、令和のこのご時世では全く成り立たなくなっているという現実を指摘したかったまでである。オールドメディアと称される新聞などが、ヨーロッパの反移民を主張する政党を「極右」などと一時いっていたが、そもそもかの地のそうした政党にどのような「右」の思想があるのか、と改めて問えば、我が方の参政党や日本保守党といった政治グループと同じく、その内実は明白ではないのである。ナショナリズムとポピュリズム(ないしはポピュラリズム)の区別すら怪しい。

 つまり、今日の反グローバリズムの潮流は、これまでの新自由主義の「空虚」の裏返しにすぎない。これは高市内閣に現在にも当てはまる。大転換とは、したがって希望に向かうとは限らない。様々な内外の現実的事象を取りあげつつ、その底流・深層の在り様を正確に論じていきたい。


いつもお世話になっております。『表現者クライテリオン』事務局です。

本日は第8期『表現者塾』開講を前に、最新号より富岡幸一郎先生の論考を全文公開いたしました。本論考が掲載されている最新号では、東アジア情勢から国内政治まで、時代の「大転換」を多角的に論じています。

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コメント

  1. サナエトークンを許すな より:

    第8期『表現者塾』とか大々的にうたう前に藤井先生に事実関係を確認して読者に報告するのが先ではないですか?

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