2018.05.22ON AIR
(※ この曲の解説は、表現者criterionメールマガジン『週刊ラジオ表現者、今週の一曲は『命の別名』です。』
https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180521/
をご参照ください。以下、抜粋します。)
・・・この曲は「高校教師」や「家なき子」「人間・失格」の野島伸司が脚本を書いたドラマ「聖者の行進」の主題歌として、中島みゆきが直々に書き下ろした一曲。
で、このドラマは、「知的障碍者」が周りの大人たちに虐げられ、搾取され、それに対抗できない無力な姿を描写したもの、でした。
まずはその歌詞をご紹介します。
『知らない言葉を覚えるたびに
僕らは大人に近くなる
けれど最後まで覚えられない
言葉もきっとある
何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えてゆく
僕がいることを喜ぶ人が
どこかにいてほしい
石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ
僕と生きてくれ
くり返す哀しみを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも 全ての人にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも名もなき僕にも
たやすく涙を流せるならば
たやすく痛みも分かるだろう
けれど人には
笑顔のままで泣いてる時もある
石よ樹よ水よ 僕よりも
誰も傷つけぬ者たちよ
くり返すあやまちを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも 全ての人にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも名もなき僕にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも名もなき僕にも』
・・・
このドラマは確かに「知的障碍者」を扱うドラマでした。
ですが、誤解を恐れずに言うなら、「まじめに生きる(若)者たち」は、不真面目に生きてきた大人たちの世界の中では、「知的障碍者」と同じ立場に置かれています。
なぜなら、「心」を亡くした大人たち、年寄り達は、意味のない、空疎な言葉をもてあそんでいるからです。
オフィスで、学校の教室で、官庁街で、国会で、そして、テレビやラジオ、挙句には家庭の中ですら―――。
そんな「大人たちの世界」の中は、心ある(若)者たちにとっては、
「最後まで覚えられない言葉」
で満たされています。
だからこの歌の主人公はこう口にするのです。
「知らない言葉を覚えるたびに
僕らは大人に近くなる
けれど最後まで覚えられない
言葉もきっとある」
つまり、「心」をまだ失ってはいない(若)者たちは、「大人」ならば誰でもたやすく口にできる、出世や金儲けやマウンティングや媚びるため「だけ」にある「心」とはなんの縁も所縁もない言葉を上手く操ることが「できない」のです。
だから、当然、心ある(若)者たちは、孤立していきます―――。
でも、この世に生まれ落ち、そして「心」を持つものならば誰もが
「何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えてゆく
僕がいることを喜ぶ人がどこかにいてほしい」
と思わないわけにはいきません。
だから致し方なく、この(若)者は、こう心の中で叫ぶのです。
「石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ 僕と生きてくれ」
この世の「立派な大人たち」がすべて、「空疎な言葉を操る、空疎な大人」であっても構わない、せめて、石や樹や水、そしてささやかな者たちが、私と共に生きてくれればそれでいい―――。
つまり、共に生きるものが、ささやかな者であってもいいし、それが難しいなら石でも樹でも水でもいい――
この(若)者は、そこまで可能な限り、極限にまでささやかなささやかな、小さな願いを持つだけに留めているのです――。
ただし、それでもなお、絶対に譲れない「一線」がある。
それこそが、「心」です。
「心」さえあるなら、
過ちがあってもいいし、
哀しみがあってもいいし、
私や貴方の名前すら要らないし、
わたしやあなたの区別すら要らない――
でも「心」なきものなら、
あらゆるものを絶対に許さない。
だから、中島みゆきは心を震わせながら、こう大声で叫ぶのです。
「くり返すあやまちを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも 全ての人にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも名もなき僕にも」
・・・この詩、そして歌は、きっと、「心」ある方ならば、若者であろうと年配であろうと、その「心」を必ず「灯す」力をもっているのではないかと――思います。
(以上、抜粋終わり)
2018.05.15ON AIR
数多くのミュージシャンにカバーされている1993年のスターダストレビューのシングル曲。「いつまでもいつまでも そばにいると言ってた」彼。その彼が「幾度目かの春の日 眠る様に 空へと旅だった」。きっと彼が「いつまでもいつまでも」という言葉を口にしたとき、彼は一点の曇りも無く純粋な気持ちであったに違いない――それを彼女は、知っている。しかしそれは、この現実の世界の中で「ウソ」になってしまった。そのウソが無ければ、そしてそのウソが純粋なものでさえ無ければ、彼女は「いつまでもいつまでも」「逢いたくて逢いたくて・・あなたを探している あなたを呼んでいる」と想い続けることは無かったかも知れないのに――「純粋」であればあるほどに人を傷付ける――そんな逆理を暗示する一曲。
2018.05.08ON AIR
1997年にリリースされたスガシカオの2枚目のシングル。ゾッとする「ウソ」を描いた一曲。長く付き合っている間に、徐々に冷め切ってしまった男性、そのことを言いそびれている内に何となく結婚―――そして彼はこう歌う「君の願いと ぼくのウソをあわせて 6月の夜 永遠をちかうキスをしよう・・・ぼくの未来に 光などなくても」そして挙げ句に彼はこういう言葉を口にしてしまう「君のあしたが みにくくゆがんでも」。結婚できる喜びに満たされた六月の花嫁――しかし彼女の目の前にいる男は彼女の事を愛してなどいない。その花嫁の未来が醜く歪むことになることは、その六月の結婚式の日に約束されている――そんな、筆者が知る限り、最も「ゾッ」とするウソを歌い上げた一曲。
2018.05.01ON AIR
1980年に銃殺されたジョンレノンの、1971年にリリースされたビートルズ解散後の代表曲。「Imagin」(想像してみなさい)と語りはじめるこの曲は、国家や宗教や所有欲が「存在しない状態」を万人が想像できれば、平和になって、世界は一つになるに違いないさ、という見解を表明し、万人に「想像」することを呼びかける。1975年まで続いたベトナム戦争に反対するアメリカの若者達の反戦運動を象徴する一曲。「もしこれが可能なら」、どんなに素晴らしい事だろうと思わない人など、いるわけがない―――が、実際には、可能でないにも関わらず、『もし可能なら』と多くの人々が想像しはじめたら―――そこにはジョンレノンが全く想像すらしていなかった「地獄の扉」が開かれることになる。
2018.04.24ON AIR
オーストラリアのハードロックバンド、AC/DCの6枚目のアルバム。売り上げ総数は実に約5000万枚、音楽の世界史上、マイケル・ジャクソンの『スリラー』、ピンク・フロイドの『狂気』に次ぐ歴代三位の大ヒットアルバムのタイトル曲。生死の境目、あるいは死そのものから、「暗闇の中、戻ってきた」(back in black)男が叫ぶ。「俺は9つの魂を持っている 猫の目もある どいつもこいつも蹴散らしてやる 逃げるなら今の内だぜ!」―――「死」と「生」の激しい交わりからほとばしる巨大なエネルギーが、世界中の度肝を抜いたアンガスヤングのギターとブライアン・ジョンソンのヴォーカルに乗って爆発する。
2018.04.17ON AIR
1970年、レッド・ツェッペリンを代表する一曲。ある民族が新しい土地の先住民を征服し、侵略に臨む。世界の三大ギタリストの一人、ジミーペイジの強烈なギター・リフとジョン・ボーナムの重たいドラムの上で叫び狂うロバートプラントのヴォーカルはまさに、征服に向かう民族達の戦闘心を駆り立てる。こんな勇ましい侵略を繰り返した欧米人達に、草食化しきった現代のひ弱な日本の男達は今、まともに立ち向かうことができるのかーーー?
2018.04.10ON AIR
1975年、日本を代表する和製ブルースバンド憂歌団のデビュー曲「おそうじオバチャン」の原曲となった一曲。この憂歌団の「おそうじオバチャン」では、ボーカルの木村さんがこう叫ぶ。「一日働いて2000円 今日も働いて2000円・・・わたしゃ、ビルのお掃除おばちゃん」。最低賃金制も不十分な70年代、貧しい暮らしの中でもめげず、明るく、不満に潰されずたくましく働き、生きる庶民の心情を歌い上げた一曲。ギター、リズム、ボーカル、そして歌詞・・・・どれをとってもまさに和製ブルースの真骨頂であり代表曲。家族もコミュニティも国家も失いつつある日本人達は今、この「おばちゃん」の様に、どんな酷い貧困の中でもたくましく生き抜いていくことができるのかーーー?
2018.04.03ON AIR
「月火水木金働いた」「時々ダメになってしまう」「ダメでも毎日頑張るしかなくて」・・・希望が限りなく蒸発し、虚無主義=ニヒリズムがはびこる現代の中で、自らの生に何とか何らかの意味を見いだそうとする者達への応援ソング。高校の軽音楽部で女子高生達が結成したスリーピース・ロックバンドSHISHAMOによる、「女の子」がかき鳴らしているとは俄に思えないストレートなハードギター曲。どんな絶望状況でも「ヒーロー」に自分を重ね、それを自身の行動のクライテリオン=規準とみたて、痛いけど、苦しいけど、報われるかなんてわからないけど「走る」。「ポジティブ・ニヒリズム」(=絶望すら気にせずに、全力で戦う積極的な虚無主義)とも言いうる心情を、普通の言葉だけを使って普通に歌い上げた彼女たちに今、日本中の大量のティーン達が心を鷲づかみされているらしい。
2018.03.28ON AIR
日本の代表的な「卒業ソング」。荒井由実(松任谷由実)作詞作曲、1975年のハイファイセットのデビュー曲。そのテーマの中心にあるのは、「人混みに流されて変わっていく私」と「卒業写真の中のあなた」。敗戦と米軍の占領統治から30年を経て、大衆社会が高度化しつつあった70年代、そんな「社会」に投げ出されてしまった学生達は、「人混みに流されて変わっていく」ことに怯える。その中で何とか「正しいはずだった、あの頃の生き方」を続けていくために彼らが頼る「規準=クライテリオン」が、「卒業写真のあなた」。しかし彼らは果たしてそんな「あなた」を持ち続けることができたのか、そして齢を重ね「あの頃の生き方」を越える事ができたのかーーー。
2018.03.20ON AIR
大ヒットアニメ、『新劇の巨人』の主題歌。この一曲だけで、そのアニメの世界観が明確に歌い上げられている。戦いを辞め、奴隷としての繁栄を嬉々として喜ぶ現代の日本人達に対するアンチテーゼを強烈に提示する一曲。今の我々の豊かな暮らしは、「家畜の安寧」や「虚偽の繁栄」に過ぎない。「祈ったところで何も変わらない」のだから、この隷属を強いる者どもと「戦う覚悟」を持たざるして、何が変わるというのか。家畜として生きて行くくらいなら「死せる餓狼の自由」をこそ求めねばならぬのではないか、否、そう生きていきたい――今の日本で何よりも失われてしまった「独立のために戦う勇気」を、驚くべきストレートさで歌い上げ、そのストレートさが多くの若者達の精神を捕らえ、大ヒットした一曲。
2018.03.13ON AIR
今の日本のおぞましき腐臭漂う醜悪な部分を怒りを込めて歌い上げるブルーハーツの一曲。「イメージ イメージ イメージが大切だ 中身が無くてもイメージがあればいいよ」そんなTVや新聞、そして、クラスや職場のうす甘い空気に対して、暴力的な怒りをぶつける。「金属バットが 真夜中にうなりを上げる」、挙げ句に「クダらねえインチキばかりあふれてやがる ボタンを押してやるから吹っ飛んじまえ」――へらへら笑いながら「中身が無くてもイメージがあればいいよ」と嘯く輩に、金属バットはダメなのか、ボタンを押しちゃダメなのか!?――そんな、今の普通の若者達がうす甘い大人達に対して抱く激烈なる潜在意識を赤裸々に歌い上げた一曲。
2018.03.06ON AIR
ノーベル文学賞受賞者でもあるボブディランの名曲を、ジミヘンがカバー。聖書に書かれた「バビロニア帝国崩壊」の物語をモチーフとしたもの。大衆社会が深刻化する中で、大衆に語りかけんとする「道化師」が、大衆には何一つ伝わらないことの悲哀を歌う一方、自身が住まう「帝国」それ自身が今まさに亡びようとしていく様子を暗示する―――これは、大英帝国の終焉や、アメリカ帝国の終焉を暗示する歌とも言いうるが、もちろん、我が国に引きつけて考えることもできる。大衆社会が深刻化する一方、為政者達は危機に対して無為無策のまま傍観する、我が国日本の今日の姿――その哀しくも滑稽な姿をあざ笑うかのように、ジミヘンのギターが終盤に向けてますますクレイジーになっていく――。