2018.04.17ON AIR
1970年、レッド・ツェッペリンを代表する一曲。ある民族が新しい土地の先住民を征服し、侵略に臨む。世界の三大ギタリストの一人、ジミーペイジの強烈なギター・リフとジョン・ボーナムの重たいドラムの上で叫び狂うロバートプラントのヴォーカルはまさに、征服に向かう民族達の戦闘心を駆り立てる。こんな勇ましい侵略を繰り返した欧米人達に、草食化しきった現代のひ弱な日本の男達は今、まともに立ち向かうことができるのかーーー?
2018.04.10ON AIR
1975年、日本を代表する和製ブルースバンド憂歌団のデビュー曲「おそうじオバチャン」の原曲となった一曲。この憂歌団の「おそうじオバチャン」では、ボーカルの木村さんがこう叫ぶ。「一日働いて2000円 今日も働いて2000円・・・わたしゃ、ビルのお掃除おばちゃん」。最低賃金制も不十分な70年代、貧しい暮らしの中でもめげず、明るく、不満に潰されずたくましく働き、生きる庶民の心情を歌い上げた一曲。ギター、リズム、ボーカル、そして歌詞・・・・どれをとってもまさに和製ブルースの真骨頂であり代表曲。家族もコミュニティも国家も失いつつある日本人達は今、この「おばちゃん」の様に、どんな酷い貧困の中でもたくましく生き抜いていくことができるのかーーー?
2018.04.03ON AIR
「月火水木金働いた」「時々ダメになってしまう」「ダメでも毎日頑張るしかなくて」・・・希望が限りなく蒸発し、虚無主義=ニヒリズムがはびこる現代の中で、自らの生に何とか何らかの意味を見いだそうとする者達への応援ソング。高校の軽音楽部で女子高生達が結成したスリーピース・ロックバンドSHISHAMOによる、「女の子」がかき鳴らしているとは俄に思えないストレートなハードギター曲。どんな絶望状況でも「ヒーロー」に自分を重ね、それを自身の行動のクライテリオン=規準とみたて、痛いけど、苦しいけど、報われるかなんてわからないけど「走る」。「ポジティブ・ニヒリズム」(=絶望すら気にせずに、全力で戦う積極的な虚無主義)とも言いうる心情を、普通の言葉だけを使って普通に歌い上げた彼女たちに今、日本中の大量のティーン達が心を鷲づかみされているらしい。
2018.03.28ON AIR
日本の代表的な「卒業ソング」。荒井由実(松任谷由実)作詞作曲、1975年のハイファイセットのデビュー曲。そのテーマの中心にあるのは、「人混みに流されて変わっていく私」と「卒業写真の中のあなた」。敗戦と米軍の占領統治から30年を経て、大衆社会が高度化しつつあった70年代、そんな「社会」に投げ出されてしまった学生達は、「人混みに流されて変わっていく」ことに怯える。その中で何とか「正しいはずだった、あの頃の生き方」を続けていくために彼らが頼る「規準=クライテリオン」が、「卒業写真のあなた」。しかし彼らは果たしてそんな「あなた」を持ち続けることができたのか、そして齢を重ね「あの頃の生き方」を越える事ができたのかーーー。
2018.03.20ON AIR
大ヒットアニメ、『新劇の巨人』の主題歌。この一曲だけで、そのアニメの世界観が明確に歌い上げられている。戦いを辞め、奴隷としての繁栄を嬉々として喜ぶ現代の日本人達に対するアンチテーゼを強烈に提示する一曲。今の我々の豊かな暮らしは、「家畜の安寧」や「虚偽の繁栄」に過ぎない。「祈ったところで何も変わらない」のだから、この隷属を強いる者どもと「戦う覚悟」を持たざるして、何が変わるというのか。家畜として生きて行くくらいなら「死せる餓狼の自由」をこそ求めねばならぬのではないか、否、そう生きていきたい――今の日本で何よりも失われてしまった「独立のために戦う勇気」を、驚くべきストレートさで歌い上げ、そのストレートさが多くの若者達の精神を捕らえ、大ヒットした一曲。
2018.03.13ON AIR
今の日本のおぞましき腐臭漂う醜悪な部分を怒りを込めて歌い上げるブルーハーツの一曲。「イメージ イメージ イメージが大切だ 中身が無くてもイメージがあればいいよ」そんなTVや新聞、そして、クラスや職場のうす甘い空気に対して、暴力的な怒りをぶつける。「金属バットが 真夜中にうなりを上げる」、挙げ句に「クダらねえインチキばかりあふれてやがる ボタンを押してやるから吹っ飛んじまえ」――へらへら笑いながら「中身が無くてもイメージがあればいいよ」と嘯く輩に、金属バットはダメなのか、ボタンを押しちゃダメなのか!?――そんな、今の普通の若者達がうす甘い大人達に対して抱く激烈なる潜在意識を赤裸々に歌い上げた一曲。
2018.03.06ON AIR
ノーベル文学賞受賞者でもあるボブディランの名曲を、ジミヘンがカバー。聖書に書かれた「バビロニア帝国崩壊」の物語をモチーフとしたもの。大衆社会が深刻化する中で、大衆に語りかけんとする「道化師」が、大衆には何一つ伝わらないことの悲哀を歌う一方、自身が住まう「帝国」それ自身が今まさに亡びようとしていく様子を暗示する―――これは、大英帝国の終焉や、アメリカ帝国の終焉を暗示する歌とも言いうるが、もちろん、我が国に引きつけて考えることもできる。大衆社会が深刻化する一方、為政者達は危機に対して無為無策のまま傍観する、我が国日本の今日の姿――その哀しくも滑稽な姿をあざ笑うかのように、ジミヘンのギターが終盤に向けてますますクレイジーになっていく――。