[書評]素手で受けとめた戦記

長谷川三千子

長谷川三千子

小幡 敏 著『忘れられた戦争の記憶 日本人と”大東亜戦争”』ビジネス社/2023年7月刊

 

 「戦記は筆舌に尽くせぬものを敢えて筆記したものである」と著者の小幡氏は言ふ。

 大東亜戦争に敗れたのち、われわれの先人が 書きのこしたおびただしい戦記は、ただの武勇伝などではない。そのうちの多くは、人間がもはや人間でゐられなくなるやうな地獄をさまよつた記録──「血涙をもって書かれた記録」──である。さうした戦記が差し出すものを「素手で受けとめねばならない」と氏は決意する。そして、その焼けつく「火種」を、そのまゝわれわれに手渡さうとしてゐる。

 氏がまづ最初に選び出すのはニューギニアの戦記である。ニューギニアが最も苛酷な戦場として知られるのは、そこが激戦の地だつたからではない。激戦の場にたどりつくまでの行程自体が地獄そのものだつたのである。悪疫と餓ゑが将兵たちを苛む。数匹の蛆の分配をめぐつて戦友同士が相争ひ、敵兵の死体には肉をえぐり取つてむさぼり喰つた痕跡がある。文字通りの餓鬼地獄である。

 けれども小幡氏はそのニューギニアを「もっとも清潔な戦場」であつたと言ふ。すべての虛飾をはぎとられ、ひたすら生存を目指してもがく兵士たちの姿は、いくら悲惨であつても決して醜悪ではない。そしてその餓鬼地獄のうちに時折り花咲く人間愛は、地獄の底であるが故になほのこと尊く美しいのである。

 ところが、同じ位に悲惨で苛酷な「戦場」であつた、シベリア抑留の記録のうちには、全く別種の地獄が見出される。それは単に極寒と飢餓とがつくり出す地獄なのではない。日本人捕虜たちが、敵に媚びへつらひ、敗けてもなほ日本人将 兵としての矜恃を保たうとする同胞を責め苛む ──さういふ地獄である。どうして日本人はか くもたやすく自己を放棄して敵にへつらふことができるのか? 小幡氏は、さう自問しつつ、そこ に繰りひろげられる〈民族自壊〉のさまを、目をそむけることなく見つめる。そして、そのおぞま しい「民族的欠陥」が、「復興」をなしとげたはずの現在にも「恐しいほどの保存状態で残されている」 ことを氏は見て取るのである。

 或る意味でこれは当然とも言へる。現在の日本には、日本全体が捕虜であつたときに敵から与へられた「日本国憲法」がそのまゝに保存されてゐる。われわれは「スターリン万歳」を叫んだ捕虜たちを嘲笑(わら)へないのである。

 しかし、これはただ憲法を改正すればことが済む、といつた問題ではない。小幡氏が戦記を読み 込むことによつて見出した、日本人のこの「民族的欠陥」は、まさにかつて本居宣長が「漢意(からごころ )」といふ言葉できびしく批判したものにほかならない。 自己でないものを自己であるかのごとくに勘違ひするおぞましい文化的倒錯──この「漢意」は、きはめて逆説的なかたちで、「千年にもあまりぬる」わが国の文化的特質をなしてきたのである。

 小幡氏は、大東亜戦争の敗北といふわが国の歴史のどん底を掘り抜いて、途方もなく大きな問題をわれわれにつきつけてゐる。


《編集部より》

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